写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:とわさん(ニックネーム)
年代:50代
性別:女性
家族構成:夫と息子との3人暮らし
仕事:在宅ワーカー、ヨガインストラクター
がんの種類:乳がん
診断時ステージ:ステージ3C
診断年:2024年
現在の居住地:京都府
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2024年、とわさんは乳がんステージ3Cと診断されました。2024年5月に自身でしこりを発見したものの、その後の検査では「異常なし」。しかし、拭いきれない違和感から再検査を受け、がんと診断されました。実は、とわさんの息子さんも過去に小児がんを経験しており、その時の知識と経験がご自身の闘病にも影響を与えたといいます。診断から治療、そして現在に至るまでの道のりをお話しいただきました。
しこりを感じたのに健診結果は「異常なし」-拭えない違和感
私が最初に「あれ?」と思ったのは、2024年の5月でした。自分で胸にしこりがあることに気づいたのです。ただ、その数週間後にちょうど健康診断の予約を入れていました。マンモグラフィーの検査も含まれていたので、そこでわかるだろうと思い、すぐに病院へは行きませんでした。
そして、健康診断の結果は「異常なし」でした。自分ではしこりを感じているのに、異常なし。少し安心した半面、このしこりは何だろうという疑問は残りました。
とはいえ、しこりはずっと気になってはいましたが、育児や仕事に追われる中で、急いで病院に行くこともないかなと再検査を先延ばしにしてしまいました。
気になって受けた再検査-ステージ3Cの現実
やはり、しこりが気になり続けていたので、今度は自分で乳腺クリニックを探して受診しました。そこでは、マンモグラフィーと超音波(エコー)検査、そして触診を受けました。
先生は触診をされて、すぐに「これはちょっと検査した方がいい」という感触だったようです。個人のクリニックだったので、詳しい検査(生検)の結果が出るまでには数日かかるとのことでした。しかし、すぐに大きな病院で精密検査を受けたほうがいいということになり、紹介状を書いてもらうことになりました。私は、看護師をしている友人のご主人が、乳腺外科の医師であることを知っていました。その先生は、他の大学病院に移られたばかりでしたが、私はその先生を頼って、その病院を紹介してもらうことにしました。
そこから1週間ほどの期間、検査のために片道1時間弱かけてその病院へ何度か通いました。しかし、検査だけでも往復の時間が負担になり、本格的な治療が始まれば、ここに通い続けるのは体力的にしんどいのではないかと感じ始めました。
その医師に正直に「通うのが大変で……先生が元の大学病院におられた時に病気になればよかったです」と冗談半分で話したところ、「治療は通いやすさが大事だから」と、元の系列である大学病院を紹介してくださることになりました。治療が始まってからの転院は難しいからと配慮してくれたのです。
こうして、私は自宅から通いやすい大学病院へ転院しました。そこで改めて精密検査を受けた結果、リンパ節への転移も見つかり、最終的な診断は「ステージ3C(HER2陽性)」であることがわかったのです。
診断が確定し、治療方針が決まりました。まずは術前化学療法を半年間行い、がんを小さくしてから手術、その後は放射線治療と薬物療法(分子標的薬)という提案が主治医からありました。
「やっと始まった」治療への前向きな気持ちと仕事の調整
診断が確定するまでの期間、そして治療が始まるまでの待機期間が、私にとっては精神的に一番つらい時期でした。不安で気持ちが落ち込み、何も手につかない状態でした。
しかし、いざ治療が始まると、「やっと始まった」「これを乗り切ればいいんだ」と、むしろ気持ちは前向きになりました。
半年間の術前化学療法はとても効果があり、がんは画像上ほぼ消えていました。当初は温存手術か全摘手術か迷っていました。「温存にすると放射線治療が必要になるなら、いっそ全摘して治療期間が短くなる方がいい」と考えていたのですが、私の場合はステージ3Cなので、全摘しても放射線治療は必要だと言われました。
最終的には、がんが小さくなったことで、乳房の温存手術と脇のリンパ節郭清を選択しました。
手術後は放射線治療を行いました。副作用は、軽い倦怠感と眠気くらいで、心配していた皮膚のただれなども、予防的に保湿をしっかり行っていたおかげか、ひどくはありませんでした。
現在は、術後の薬物療法として分子標的薬の点滴を続けています。これは術前の抗がん剤に比べるとつらい副作用は少なく、治療中であることを忘れてしまうほど元気に過ごせています。
仕事については、在宅で行っている仕事は、体調に合わせて量を調整してもらいながら、治療中も続けることができました。
一方で、ヨガ教室の仕事は、治療が始まるタイミングでお休みにすることを決めました。副作用で体力が落ちることも予想されましたが、それ以上に、「こんな状態の私が、ヨガを教えていいのだろうか」という葛藤が大きかったのです。生徒さんたちには、詳細(がんであること)は伏せましたが、「病気療養のためしばらく休みます」と伝えました。
今は、体調はすっかり回復しましたが、手術の影響で右腕がまだ完全に上がらない状態です。そのため、お休みしていたヨガ教室は、まだ本格的には再開していません。以前から通ってくださっていた生徒さんのうち、数名の方に「私のリハビリも兼ねて」と声をかけ、練習のような形で少しずつ始めようと考えているところです。
息子の小児がん経験と、私の乳がん治療
実は、私にはがんに関する知識が全くゼロだったわけではありません。息子が4歳の時に、小児がん(白血病)を患った経験があったからです。
息子が発症した時、最初は微熱や体中のあざなどの症状が出ていました。しかし、かかりつけの小児科では「様子見」が続き、最終的に鼻血が止まらなくなって救急病院へ駆け込み、そこでようやく血液検査、そして大きな病院での確定診断に至りました。
息子の治療は長く、大変なものでした。当時、私たち家族は必死で病気について学び、ソーシャルワーカーさんなど病院のサポート体制も利用しながら乗り越えました。息子は幸いにも治療が奏効し、現在は元気に学校に通っています。
この息子の闘病経験があったため、今回自分ががんと診断された時も、治療の流れや副作用についてある程度の覚悟はできていました。
私ががんであることを家族に伝えた時のことですが、夫も息子も慌てることはありませんでした。特に夫は、息子の時もそうだったのですが、ショックで言葉を失うというよりは、事実として受け止めているようでした。
息子も、自分が白血病だった経験があるためか、私が「がん」であることを受け止めてくれたようです。私が直接「乳がん」と伝えたわけではなく、治療に関する資料をテーブルに置いていたのを見て、自分で察したようでした。
「お母さんも自分と同じ治療(抗がん剤)をする」と理解していたようで、私が副作用でだるそうにしていると、「自分もこういう時があったな」とわかってくれている様子でした。私が手術で1週間ほど入院した時も、朝は夫が仕事で早く家を出てしまうため、息子は自分で起きて学校に行くなど、できることは自分で頑張ってくれていました。
正しい情報収集とピアサポーター活動への想い
乳がんと診断されてから治療中も、がんに関するさまざまな情報収集はしました。まずはSNSなどで、同じ乳がんを経験された方のブログや発信を幅広く見て、「こういう副作用があるんだ」「こういう工夫をしているんだ」という情報を集めました。
ただし、SNSの情報は玉石混交です。そこで気になったことは、必ず信頼できるサイトで確認し、さらにがん相談支援センターのソーシャルワーカーさんや看護師さんに「こういう情報を見たのですが、実際どうですか?」と確認して、正しい情報かどうかを裏付けるようにしていました。
息子の闘病時にソーシャルワーカーさんの存在や役割を知っていたので、今回も迷わず相談することができました。
私も、息子の経験と自分のがん経験を生かして、ピアサポーターの活動を始めようと思っています。情報を適切に知り、支援の輪につながることで、過度に落ち込みすぎることを防げるはずです。怖がらずに、隠さずに、ぜひ周りに手を伸ばしてみてください。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
私のがん体験を通して、今がんと向き合っている方にお伝えしたいことがあります。
怖がらずに、自分の状況を話せる人を見つけてください。
私自身、がんになって不安だった時、自分の状況を人に話すことで、さまざまな情報や助けを得ることができました。
一人で抱え込まないでください。
がんと診断されると、怖さや不安で頭がいっぱいになり、誰にも言えなくなってしまうかもしれません。病院には、治療の不安や生活のことを相談できる人がいます。また、同じ経験をした「ピアサポーター」もいます。こうした支援をためらわずに利用して欲しいと思います。
インターネットなどで得た情報は、正しい情報なのかを確かめてください。
今はSNSなどで簡単に情報を得られますが、不安をあおる情報もあります。気になることは、病院のがん相談支援センターや、信頼できる医療者に確認することが大切です。