写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:わじさん(ニックネーム)
年代:50代
性別:女性
家族構成:配偶者と子ども2人との4人暮らし
仕事:保育関係(診断時は教育関係)
がんの種類:乳がん
診断時ステージ:ステージ1
診断年:2022年
現在の居住地:千葉県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
職場の健康診断をきっかけに乳がんと診断されたわじさん。自覚症状は全くなく、ステージ1と診断されました。しかし、診断を受けてから治療方針が定まり、実際の手術に至るまでには数か月の時間を要しました。その間、わじさんは「見通しが立たない不安」と向き合うことになります。治療法の選択、仕事との両立、そして家族への報告。さまざまなお悩みや葛藤を乗り越えてこられた経緯をお話しいただきました。
診断のきっかけはマンモグラフィーで指摘された「構築の乱れ」
私ががんだとわかったのは、2022年の健康診断がきっかけでした。マンモグラフィーの結果に「構築の乱れ」という、聞き慣れない言葉が書かれていたのです。いわゆる「しこり」のような自覚症状は全くなく、自分でも驚きました。
まずは精密検査を受けるため、健康診断を受けた施設に併設されているクリニックの乳腺外科を予約しました。
そこで超音波(エコー)検査を受けると、「これはちゃんと検査をした方がいい」ということになり、後日、針生検を受けることになりました。この時点でも、私はまだ「がんかもしれない」という実感が薄かったように思います。
少し「おかしいな」と感じ始めたのは、針生検の結果を聞きに行く予約日を、こちらの都合で一度変更しようとした時です。クリニックの看護師さんからお電話があり、「体調は大丈夫ですか?」と聞かれました。
別の用事が入ったためだと伝えると、「なるべく早めに次の予約をしてください」と促されたのです。その言葉に、私は「あ、これはあまり良くない結果なのかもしれない」と、初めて不安がよぎりました。
そして迎えた結果報告の日。医師から「乳がんです」と告げられました。
予感はあったものの、やはりショックでした。ただ、医師は同時に「治療をすれば早く社会復帰できると思います」とも言ってくれました。その言葉は安心材料でしたが、具体的にいつ、どのような治療になるのかは「もっと検査を進めなければわからない」とのことでした。このクリニックでは治療ができないため、別の病院を紹介してもらいました。
クリニックの先生からは、治療先の候補としていくつかの病院を挙げていただきました。その中に、先生ご自身が非常勤で勤務されている、がんセンターがあったのです。自宅から1時間少し、職場からも通いやすい立地でした。何より、ここまで検査をしてくださった先生が関わっているという安心感は大きく、私はそのがんセンターにお世話になることを決めました。
8月の終わりに、初めてがんセンターを受診しました。
最もつらかった治療開始までの「見通しの立たない」日々
がんセンターでの日々は、検査の連続でした。改めてマンモグラフィーやエコー検査を受け、さらに全身への転移がないかを確認するためのPET検査なども行いました。
9月の終わりごろには、ステージはおそらく1、ただし範囲が広いため2の可能性もあること、がんのタイプは「ルミナルA」というおとなしいタイプだろうという説明を受けました。
「早期発見」「おとなしいタイプ」という説明を受けましたが、私の不安はむしろここから始まりました。それは、「治療(手術)がいつ始まるのか、全く見通しが立たない」ということでした。
がんは、診断されたらすぐに手術するものだと思っていました。しかし実際には、さまざまな検査を重ね、他の臓器への影響なども含めて慎重に治療方針を決めていくため、時間がかかるものなのだと知りました。
とはいえ、予定が立たないことは、想像以上にストレスでした。仕事への影響を考え「手術が決まればまとまった休みをいただくことになります」と、早い段階で職場には報告していました。しかし、その「いつ」が全く決まらない。職場に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
また、私自身は自覚症状がなくとても元気だったので、気分転換に趣味の演劇やスポーツ観戦のチケットを取りたくても、「もし手術日と重なったらどうしよう」と躊躇してしまいます。結局、「行けたじゃないか」と後で思うこともあり、そういう小さな我慢が積み重なっていきました。
がんセンターでは最初に、「入院は基本的に前日の電話で確定します」と説明され、とても驚きました。さすがにそれは一般的な案内だったようで、実際には1週間ほど前に予定のお電話をいただけましたが、それでも直前まで落ち着きませんでした。
私の場合、さらに時間がかかった要因がいくつかあります。そのひとつが、私が「乳房同時再建」を希望したため、乳腺外科だけでなく形成外科の先生との調整も必要だったことです。
他の方のがん体験ブログを読むと、「手術日が決まったことで一旦安心する」という記述をよく目にしました。これは本当に共感しました。痛みへの不安はあっても、「次に進める」という見通しが立つことが、どれほど心の支えになるか。私にとって、診断から手術までの、この「決まらない期間」が最も不安な時期でした。
私が「全摘」と「自家同時再建」を選んだ理由
治療方針を決めるにあたり、私は主治医の先生に「痛いのが続くのは嫌だ」「治療が長引くのも嫌」と、自分の希望を率直に伝えました。
先生は私の意向をしっかりと受け止めてくださり、「あなたの場合はこれがおすすめです」と、私に合った治療法を提案してくれました。私の場合はがんの範囲がステージ1にしては比較的広いため、「全摘」が望ましいとのことでした。
同時に、形成外科の受診を勧められ、乳房の「同時再建」について話を聞きました。選択肢は、「再建しない」「インプラント(人工乳房)で再建する」「自家組織(自分のお腹や背中の組織)で再建する」の3つです。
私は、ネットや本で情報を集めました。帝王切開の経験があったため、「お腹の組織を使った自家再建は難しいかもしれない」と書かれている情報もありました。しかし、形成外科の先生に相談したところ、「うちではやれなくないですよ」と言っていただけたのです。
私は、自家組織での同時再建を選びました。
理由は、術後の「日常の不便さ」をなるべく避けたかったからです。再建しない場合、体のバランスが悪くなって疲れやすくなったり、専用の装具(パッド)がズレたり合わなかったりする大変さがあると聞きました。
インプラントも、10年〜20年程度で入れ替えが必要になる可能性がありました。
手術は一度で大変ですが、その後の長い生活を考えた時、自分自身の組織を使用する方が、私の場合には適していると判断しました。この時の選択は、今でも良かったと思っています。
家族への報告と、娘たちの言葉
がんのことは、配偶者にはすぐに伝えました。職場にも早い段階で報告しました。
一番悩んだのは、娘たち(当時、大学4年生と高校3年生)と、自分の親にいつ、どうやって話すかでした。
私自身が元気だったこともあり、治療方針が何も決まらない段階で伝えても、かえって心配をかけるだけだと思いました。特に娘たちは、進路なども控えたデリケートな時期です。乳がんは遺伝の可能性もゼロではないため、その心配もかけてしまうかもしれないと思いました。
結局、治療方針が「自家再建による全摘手術」と固まり、あとは手術日を待つだけ、という11月ごろになって、ようやく娘たちに話しました。
娘たちの反応は、「ふーん」という、あっさりしたものでした。私も「そういうことになったけど、あなたたちの生活は今まで通りで大丈夫だから」と、努めて普通に伝えました。
ただ、全ての治療が一段落してから、娘にこう言われました。
「あの時、お母さん、強がってるなって思ったよ」
私のことを見て、彼女たちなりに気遣ってくれていたのだとわかりました。
乳がん治療を経て、「やりたいこと」は「やれるうちに」という心境が変化
手術は年末年始の休暇にかかる形で行いました。実質1か月弱のお休みで、仕事に復帰することができました。職場の方々の理解には本当に感謝しています。
手術前は自覚症状が全くなかった分、術後の痛みは想像以上につらいものでした。胸だけでなく、組織を採取したお腹の傷も痛みます。腹筋がごっそり落ちてしまい、しばらくは姿勢を保つのも大変でした。
術後1か月ほどして、切除した組織の詳しい病理検査の結果で、最終的に「ステージ1」と確定されました。そして、抗がん剤も放射線治療も必要なく、今後はホルモン療法(タモキシフェンの服用)のみで良いと告げられた時は、心から安心しました。
ただ、ホルモン療法も全く楽なわけではありません。私の年代(50代)特有の体の変化もあるのでしょうが、朝起きた時の体のこわばりや、じわじわと続く不調があります。
日常生活が送れないほどのつらさではありませんが、病気になる前の自分に、完全に戻ったわけではありません。
それを実感しながらも、薬を変えるほどではないと判断し、今の状態と付き合いながら暮らしています。
術後、私は転職をしました。診断時に勤めていた教育関連の仕事をやめ、現在は保育士として働いています。
これは、闘病経験が大きく関係しています。
ホルモン療法の副作用で体調が万全ではない中、都内の職場までの電車通勤、特に乗り換えがつらく感じるようになりました。そして何より、もともと転職したいという願望があったことに加え、がんを経験したことで「やりたいことは、動けるうちにやっておこう」という気持ちが、より一層強くなったのです。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
私が治療で悩んだのは、主に「再建をどうするか」という点でした。がんセンターでさまざまな検査を受けている間、手術日が決まらない間、私は多くの情報を調べ、迷いました。今、同じように悩んだり、不安な日々を過ごしたりしている方へ、私の経験からお伝えしたいことがあります。
悩み、迷うのは、真剣に考えている証拠です。
手術の方法、再建の方法、仕事のこと。迷うのは、ご自身にとって何が最善かを真剣に考えているからです。私自身、再建について悩んだ時間は、自分自身の体と生活にしっかり向き合う時間でした。
悩みすぎず、「決めて進む」ことも大切です。
一方で、情報が多すぎて悩み、前に進めなくなってしまうこともあります。ある程度情報を集めたら、最後は「自分で決める」ということが、治療を進める上で大切だと感じました。
手術日が決まらない不安は、多くの人が感じています。
診断から手術まで、見通しが立たない期間は本当に不安でした。でも、検査を重ね、慎重に方針を決めるのは、安全な治療のために必要なプロセスです。手術日が決まれば、「次に進める」という安心感に変わります。
自分の選択に後悔しないことが一番です。
私は「全摘」と「自家同時再建」を選び、その選択に今は後悔していません。人それぞれ、年齢も、仕事も、家族構成も、そしてがんの状態も違います。どうか、ご自身が「これなら納得できる」という選択をして、前へ進んでいって欲しいと思います。