写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:カポールさん(ニックネーム)
年代:70代
性別:男性
家族構成:妻と2人暮らし(息子2人は独立)
仕事:自営業
がんの種類:食道がん
診断時ステージ:ステージ3
診断年:2023年
現在の居住地:愛知県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2023年、食道がんのステージ3の診断を受けたカポールさん。当初、がんであるという事実に納得できず、2度のセカンドオピニオンを経験されました。第一選択と言われた「術前化学療法+手術」の提案を一度は受け入れながらも、手術への強い抵抗感から直前でこれを拒否。化学放射線療法を選択したものの、後に再発。最終的には、手術を受けることになります。診断から再発、そして手術に至るまでの経緯と治療選択の背景にあった思いについてお話しいただきました。
食べ物が胸につかえるような違和感がきっかけで見つかった食道がん
私が最初に体の異変に気づいたのは、2023年の6月頃でした。食事の際、3~4口食べると食べ物が胸につかえるような、飲み込みづらい感覚があったのです。
気になって、高血圧や便秘の薬を定期的にもらっていたかかりつけのクリニックを受診しました。症状を伝えると「上部消化管内視鏡検査をしてみましょう」ということになり、検査を受けました。検査後、医師から告げられたのは「これは悪性だと思いますから、大きい病院へ行ってください」という言葉でした。
私は、親戚や兄弟にもがんになった人がいなかったため、まさか自分ががんになるとは思っていませんでした。良性だろうと軽く考えていたので、医師の言葉に実感が湧きませんでした。
まさか自分が…信じたくなかった食道がん告知
クリニックの医師からは、紹介先の病院について「どこがいいですか」と尋ねられました。私は地元の拠点病院となっている総合病院を希望し、紹介状を書いてもらうことにしました。
総合病院では、改めて上部消化管内視鏡検査と採血、そして組織を採取する検査を受けました。後日、検査結果を聞きに消化器内科の診察室に入ると、診察時間の終了間際だったこともあり、医師はひどく疲れた様子で声も枯れていました。
「食道がんです」
医師はそう言うと、矢継ぎ早に治療法の説明を始めました。「第一選択は手術です。第二選択は化学放射線治療です」と。手術の方法や放射線治療のやり方について、30分ほど説明されました。
私は「なぜがんとわかったのですか」と尋ねました。組織検査の結果について知りたかったのです。しかし、医師は「いや、がんですから」と繰り返すばかりで、明確な根拠を示してくれません。私自身、まだがんであるという事実を受け入れられていなかったこともあり、その説明では到底納得できませんでした。
すでに夕方の遅い時間だったこともあり、その日は何もわからないまま帰宅することになりました。
セカンドオピニオンで受け入れた「がん」という現実
妻も私も、最初の告知には全く納得がいきませんでした。「セカンドオピニオンを受けよう」と、すぐに決めました。
ただ、総合病院の医師たちは、県内の大学病院系列の方が多いようでした。同じ系列の病院に行っても同じ結果が出るのではないか。そう考えた私は、隣県にある総合病院でセカンドオピニオンを受けることにしました。そこは以前ラジオで「食道がんの手術がうまい」と聞いたことがあった病院です。
隣県の総合病院にセカンドオピニオンを申し込み、検査データを送ってもらいました。データが届くのを待つ間も、私は「良性のはずだ」と思い続けていました。
2週間後、セカンドオピニオンを受けに行きました。そこの医師は、送られてきた上部消化管内視鏡検査の画像を見るなり、きっぱりと言いました。
「これは間違いなく進行性の食道がんです。ステージ3だと思います。誰が見てもがんだとわかりますよ」
私は「組織検査でもがん細胞がみつかったのでしょうか」と食い下がりましたが、医師は「長年の経験から、この上部消化管内視鏡検査の画像を見ればがんだとわかります」と言いました。
2人目の医師にここまで断言され、私は初めて「自分は本当にがんなんだ」という現実を受け入れることになりました。
手術への抵抗感から手術予定日の3日前にキャンセル
セカンドオピニオンを受け、がんであることは受け入れました。しかし、治療は通院の利便性や、妻の負担を考え、地元の総合病院で受けることに決めました。
総合病院に戻り、今度は外科の医師から説明を受けました。そこで提示されたのは、まず抗がん剤治療を3クール行い、がんを小さくしてから手術をするという方針でした。
その外科医の説明は非常に早口でしたが、内容はとても詳細で、手術について相当な経験を積んでいるベテランの医師だと感じました。
10月から予定通り術前の抗がん剤治療が始まりました。2週間の入院治療を1週間休むというサイクルを3回繰り返しました。12月半ばに3クール目が終わると、CT検査でがんはかなり小さくなっていることが確認されました。
手術は年明けの1月13日に決まりました。しかし、私はこの時、大きな迷いを抱えていました。私は過去の別の手術(脊柱管狭窄症)の経験から、外科医=手術をしたがるという先入観がありました。また、抗がん剤治療で入院している間、看護師たちに「手術後はどうなんですか」と尋ねると、「大変ですよ。食べ物が食べられなくて、皆さん苦労されています」と聞いたのです。
「抗がん剤だけでこれだけ小さくなったのだから、放射線もやれば治るのではないか。食道を取られて食べられなくなる苦労をするよりも、食道を温存する方を選びたい」。その思いが日に日に強くなり、私は手術予定日の3日前、「手術はしません」と病院に電話をかけました。
化学放射線療法終了後5か月で局所再発
突然の手術キャンセルでしたが、医師から強く引き止められることはありませんでした。1週間後の診察で、「では2週間後から化学放射線療法を始めましょう」と、淡々と次の治療が決まりました。
2024年2月から、放射線治療(28回)と、補助的な抗がん剤治療(2回)が始まりました。放射線を当てた胸や背中は、日焼けしたようにヒリヒリしました。医師からは、放射線が心臓や肺、肝臓にも当たるため、「晩期毒性(後から出てくる副作用)」のリスクがあると説明を受けましたが、受けるしかありません。
抗がん剤の副作用もつらいものでした。脱毛や爪の変形(特に足の親指はいまだに治りません)に加え、味覚がなくなり、食欲が全く湧きません。
3月末に全ての治療が終了しました。検査の結果、「がんはきれいに消えています」という、私が望んでいた言葉でした。
すっかり安心した私は、がんになる前のようにアルコールも毎日飲む生活に戻っていました。しかし、その安心は長くは続きませんでした。
治療終了から約5か月後、2024年8月のお盆明けの定期検査で、がんの局所再発が告げられたのです。
2度目のセカンドオピニオンで決めた手術という選択
再発後の治療方針を決めなければなりません。医師は「手術しましょう」と言いました。
しかし、それでも手術への抵抗感があったため、私は再びセカンドオピニオンを希望しました。
今度は、県内にある大学病院を選びました。私のデータを見た大学病院の医師は、内視鏡での治療(ESDなど)が可能か検討してくれましたが、「がんが深くまで達している」「範囲が広すぎる」という理由で、やはり「手術で切除するしかない」という結論でした。
私は落胆しましたが、その大学病院の医師は意外な言葉を続けたのです。
「カポールさんの主治医は、大学病院にいた頃、高齢者や合併症のある患者の難しい手術を専門に扱うエースと呼ばれた先生ですよ。その先生にやってもらうのが一番いいと思います」
私は驚きました。最初の手術を拒否したあの総合病院の医師が、実はこの分野の名医だったと、セカンドオピニオン先で教えられたのです。
覚悟の手術と「最初からやればよかった」という後悔
大学病院の医師から主治医の評判を聞き、私の腹は決まりました。総合病院に戻り、「手術をします」と伝えました。手術は2週間後の2024年10月24日に決まり、無事に手術は成功しました。
手術後、9日間は水が一口も飲めない絶食・絶飲が続きました。口の中はカラカラに乾き、ワセリンを塗ってもらうほどで、本当につらい時間でした。
10日目に縫合不全がないかを確認する造影剤の検査がありました。幸い「漏れはない」とのことで、その日から水分を取る許可がでました。スポーツドリンクを恐る恐る口に含んだ時の、あの生き返るような嬉しさは忘れられません。
その後は驚くほど順調でした。縫合不全も肺炎などの合併症もなく、食事も重湯からではありましたが、すぐに始まりました。看護師にも「順調ですね」と驚かれ、予定より早く、手術から約20日で退院することができました。
退院の日、いったんは手術を拒否した執刀医の先生に、「ありがとうございました」と心から頭を下げました。
先生は私にこう言いました。
「もう1か月遅かったら、命はなかったですよ。がんは心臓にがっつりくっついていて、それを剥がすのが本当に大変だったんです」
その言葉を聞いて、私は「ああ、やはり最初から手術を受けておけばよかったんだ」と、初めて自分の選択が遠回りだったことを認めました。
術後にリセットされた味覚
退院後1か月ほどは、口からの食事だけでは栄養が足りないため、お腹から入れたチューブで1日7時間かけて栄養剤を注入する生活も続きました。
手術で体重は14kg落ちました。医師からは「6~7kgは痩せる」と言われていましたが、予想をはるかに超える減少でした。
食道がない生活にも少しずつ慣れています。ただ、食べ物の「喉ごし」という感覚は全く変わってしまいました。ラーメンやそばも昔のようにすすることはできません。一口入れたら30回は噛まないと飲み込めません。
大好きだったアルコールもまだ美味しいと感じられません。ビールを飲むと炭酸の泡が溜まって苦しくなり、日本酒を飲んでもピリピリするだけで、旨味がわからないのです。
どうやら、手術で味覚が一度リセットされてしまったようです。炊き立てのご飯の旨味さえ、今はよくわかりません。これから少しずつ、赤ん坊が味を覚えるように、美味しいという感覚を学び直していくのだろうと思っています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
私の体験が、治療選択に悩んでいる方、特に食道がんの患者さんにとって、何かの参考になれば幸いです。
セカンドオピニオンはためらわずに利用してください。
私自身、2回利用したことで、最終的に自分の治療に納得することができました。私は1回目、「がんか、がんじゃないか」という点に固執しすぎました。がんであることを受け入れた上で、「自分にはどんな治療の選択肢があるのか」「なぜその治療が第一選択なのか」「他の治療(放射線など)ではダメなのか」を冷静に尋ねるべきでした。
迷う時間も無駄ではないと思います。
私は術前抗がん剤治療中に迷い、手術を土壇場でキャンセルしました。しかし、その迷う時間があったからこそ、さまざまな情報を集め、最終的に自分が納得して手術台に上がることができたとも言えます。主治医を信じることは非常に重要です。しかし、それと同じくらい、自分が納得して治療に臨むことも大切だと思います。私の遠回りが、皆さんの「納得のいく選択」のためのヒントになれば嬉しく思います。