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腰痛をきっかけに判明した多発性骨髄腫、繰り返す再発と新たな治療法の提案で乗り越えた5年間

[公開日] 2025.11.25[最終更新日] 2026.01.08

写真はイメージです。(AIによる生成)
プロフィール お名前:河田誠さん(本名) 年代:50代 性別:男性 家族構成:妻と子ども二人との四人暮らし 仕事:会社員 がんの種類:多発性骨髄腫 診断年:2020年 現在の居住地:栃木県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。 2020年、河田誠さんが多発性骨髄腫と診断されたきっかけは、「腰痛」でした。診断から5年。その間、初期治療、再発、そして過酷な自家造血幹細胞移植を経て、現在も治療を続けています。再発を繰り返す不安、治療の副作用、仕事との両立、そして趣味の制限。さまざまな困難と向き合いながら、家族のサポートや会社の理解に支えられ、病気と「共生」する現在についてお話ししていただきました。

多発性骨髄腫診断のきっかけは「腰痛」

私が多発性骨髄腫と診断されたのは、2020年11月のことです。 もともと、健康診断などで「MGUS(意義不明の単クローン性ガンマグロブリン血症)」という、骨髄腫の前段階の状態だとは言われていました。また、今思えば、当時は子どもがかかるような感染症にかかったり、原因不明の発熱を繰り返したりと、免疫が落ちている兆候はありました。 しかし、決定的なきっかけは「腰痛」でした。いつもの腰痛とは違う、内側からの痛みを感じ、まずは整形外科を受診しました。そこの医師から「これは骨の中からの痛みかもしれない。内科で詳しく調べてもらった方がいい」と勧められ、かかりつけの内科へ向かいました。 血液検査の結果、IgAという数値が4000 mg/dLを超えていることがわかりました。かかりつけの先生から「すぐに大学病院へ行ってください」と紹介状を渡されました。紹介先の大学病院は、その先生が以前勤務されていた血液内科であり、私自身も通いやすい場所だったため、迷いはありませんでした。 大学病院で骨髄検査などを受け、診断は確定しました。「多発性骨髄腫」です。

主治医の「大丈夫」という言葉に救われて

病名を告げられた瞬間、頭の中は真っ白になりました。多発性骨髄腫という病名を全く知らなかったからです。「血液のがん」だと説明を受け、漠然と「もう助からないのではないか」と、悪いことばかりを考えてしまいました。 しかし、主治医の先生からの説明は、私を少し落ち着かせてくれるものでした。 「河田さんの状態は、腎臓や肝臓などの臓器に異常はなく、骨折などもありません。初期の段階ですから大丈夫ですよ。すぐに治療を始めましょう」 この「大丈夫」という言葉に、どれだけ救われたかわかりません。 とはいえ、不安は消えませんでした。診断が確定してからも検査が続き、その間にインターネットで病気の情報を調べ始めましたが、それが良くありませんでした。知識がなかったため、古い情報やネガティブな情報ばかりが目に入り、5年生存率などの数字を見ては「自分はどうなるんだろう」と、再び不安になりました。 たまらず、診察の際に医師にその不安をぶつけました。すると先生は、「今は新しい薬が次々と開発され、治療法も確立されてきています。ですから、安心して治療をしましょう」と、改めて力強く言ってくれました。その言葉で、ようやく私も腹を据えて治療に取り組もうと決意できました。 治療は、診断から約2か月後の2021年1月から、入院して化学療法を行うことになりました。入院期間は2~3週間ほどの予定でした。 入院してすぐ、私はトラブルに見舞われました。入院5日目にして感染症にかかってしまったのです。私は準無菌室(個室)に移されることになりました。 世間はコロナ禍の真っただ中でした。面会は厳しく制限されており、個室に移されたことで、私は完全に一人きりになりました。 最初の化学療法の副作用は、拍子抜けするほど軽いものでした。治療の初日か2日目に少し気持ちが悪くなった程度で、想像していたような苦しさはありませんでした。 しかし、副作用がないことが逆に不安を呼び起こしました。「こんなに楽で、本当に薬は効いているんだろうか?」と思ってしまったのです。 唯一の情報源はスマートフォンでした。個室で一人、不安で仕方なかった私は、またネット検索を始めました。今の治療法は正しいのか、効果はどれくらいか、副作用はどうか、どれくらいで治るのか……。しかし、調べれば調べるほど、情報は悪い方へ向かっていきました。同じ病気の人のブログなどを読み、症状が重い人の書き込みを見ては、「自分もいずれこうなるのではないか」と、勝手に自分と重ね合わせ、落ち込むという悪循環に陥っていました。 主治医の先生は、血液検査の結果を見せながら「IgAの数値がちゃんと下がってきています。効果は出ていますよ」と説明してくれましたが、私自身に「効いている」という体感が乏しいため、不安を拭い去ることは難しかったです。

会社への報告と「在宅勤務」という配慮

診断が下った2020年11月当初、私は会社に病気のことを報告できませんでした。 11月後半から年末にかけては、私の部署の繁忙期で、遠方への長期出張も予定されていました。私自身もその出張メンバーに入っており、上司も同僚も忙しく飛び回っている中で、「実はがんになりました」とは、とても言い出せる雰囲気ではありませんでした。 検査のための通院は、有給休暇や半日休暇でなんとかやり過ごしていました。しかし、年明けからの入院が決まった段階で、私は直属の上司にだけ事情を説明しました。 「多発性骨髄腫という血液のがんになりました。1月から2~3週間入院して治療を受けます。退院後も通院治療が続きます」 上司は驚いていましたが、すぐに私の体調を最優先に考えてくれました。当時、コロナ禍で世間的に在宅勤務が広まり始めていたことも幸いし、会社は「週の半分程度を在宅勤務にしてはどうか」と提案してくれました。この配慮は本当にありがたかったです。 他の同僚には、当初は話しませんでした。変に気を使われたくなかったですし、自分自身、この先どうなるのか見通しが立っていなかったからです。

自家造血幹細胞移植後の再発

初期治療の入院を終え、退院後は通院での化学療法に切り替わりました。入院中は軽かった副作用も、退院して1か月ほど経ったころから、手足のしびれや味覚障害として現れ始めました。それでも、在宅勤務ということもあり、仕事はなんとか続けられていました。 しかし、治療は順調とは言えませんでした。 2021年8月、定期検査で異常が認められ、9月に1回目の再発が確定し、再発に対する化学療法を行いました。そしてこの時、医師から「自家造血幹細胞移植」を提案されました。 2022年1月、私は「自家造血幹細胞移植」を受けましたが、この治療は、本当に過酷でした。大量の抗がん剤を投与した翌日から、私は病室のトイレにこもりきりになりました。吐き気とだるさとの闘いが、移植後も含めて約2週間続きました。 さすがにこの時ばかりは、在宅勤務も不可能でした。会社には事情を話し、「休職」扱いにしてもらいました。約2か月間の休職を経て、体力がある程度回復したのを見計らい、今度は完全在宅勤務という形で仕事に復帰しました。 移植から約2年半、維持療法を続けながら、数値も安定していました。「このままいけるかもしれない」と淡い期待を抱いていましたが、現実は甘くありませんでした。

「異なる新しい化学療法」と「CAR-T細胞療法」という二つの治療選択

2024年8月、定期検査で再び異常が認められました。治療薬を変更して一旦は落ち着いたものの、同年11月には再び異常が認められたため、再度入院して治療を受けることになりました。 この時、主治医の先生から「異なる新しい化学療法」と「CAR-T細胞療法」の二つの選択肢が提案されました。CAR-T細胞療法は、自分の免疫細胞を取り出して遺伝子操作を加え、がん細胞を攻撃する力を高めて体に戻す、最新の治療法の一つです。 しかし、私は「異なる新しい化学療法」を選択しました。「CAR-T細胞療法」を最後の切り札として、温存しておきたかったからです。 幸い、この化学療法が私の体に合っていたようで、1年が経つ現在まで、再発していません。 再発を繰り返すたびに不安に襲われますが、「次はこの治療法がある」という選択肢が残されていることは、大きな安心材料になっています。不安が半減するとまでは言いませんが、精神的な支えになっていることは確かです。

5年間の闘病で得た、物事をポジティブにとらえる考え方

この5年間、家族の支えは本当に大きなものでした。妻は診断当初から病院に同席して一緒に説明を聞いてくれましたし、当時中高生だった子どもたちも、難しい病気を完全には理解できなくとも、私を支えてくれました。 一方で、失ったものもあります。それは趣味の時間です。 私はバイクと釣りが大好きで、以前は週末になるとバイクで釣りに出かけるのが何よりの楽しみでした。しかし、多発性骨髄腫は骨を脆くする「骨病変」を引き起こす可能性があり、転倒のリスクがあるバイクには乗っていません。また、釣りも、以前、治療中に軽い気持ちで行った際に感染症にかかってしまった経験があり、それ以来、控えるようになりました。 免疫が低下しているため、人が多い観光地などにも行けなくなりました。家族で出かける場所も、ずいぶん限られてしまったと感じています。 病気になった当初は「なぜ自分が」という思いもありましたが、5年も経つと、良くも悪くも病気に慣れてきました。再発にも動じなくなり、冷静に次の治療法を判断できるようになったと思います。 家族、そして病気に理解を示し続けてくれる会社、友人たちの支えのおかげで、私は今、ポジティブに物事を考えられるようになりました。完治が難しい病気であることは受け入れています。この病気とは向き合って生きていくしかない、そう覚悟を決めたことで、前向きに治療に取り組めるようになりました。

これからがんと向き合う方へのメッセージ

5年間の闘病から、今、がんと向き合っている方に伝えたいことがあります。 「正しい情報」を「正しい場所」から得てください。 私がこの5年間で学んだ、最も大切なことは、正しい情報の入手方法です。私自身、診断当初や入院中に、インターネットの古い情報やネガティブな情報に振り回され、勝手に絶望し、不安を増大させてしまいました。「自分の病状を主治医にしっかり確認すること」「わからないことは、医師や看護師、がん相談支援センターなど、信頼できる専門家に相談すること」を心がけてください。自分の状態を正しく知ることが、不要な不安を取り除き、前向きに治療と向き合う第一歩になります。 必要以上に恐れることはありません。 多発性骨髄腫は、完治が難しい病気だと言われています。しかし、治療法がないわけではありません。私自身、再発を繰り返していますが、そのたびに新しい治療法が提案され、現在も治療を続けながら、在宅で仕事をしています。毎日寝込んでいるわけでも、何もできなくなったわけでもありません。確かに趣味などの制限はありますが、普通の生活を送れています。治療法は日々進歩しています。今は不安でいっぱいかもしれませんが、どうか希望を捨てず、目の前の治療を一つひとつ乗り越えていって欲しいと願っています。
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