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治らない口腔内の痛みで判明した舌がん、幼い息子と夫のサポートで日常を取り戻すまで

[公開日] 2025.11.24[最終更新日] 2026.01.08

写真はイメージです。(AIによる生成)
プロフィール お名前:がんこさん(ニックネーム) 年代:40代 性別:女性 家族構成:夫と息子との三人暮らし 仕事:学校勤務(事務職) ※診断時は派遣社員 がんの種類:舌がん 診断時ステージ:ステージ3 居住地:東京都 診断年:2019年
保育園児だった息子さんの子育てと仕事に追われる中、口の中の違和感を覚えたのが始まりでした。当初は口内炎と軽く考えていたものの、事態は深刻な方向へ。大学病院での診断、舌の半分を切除する手術、そして退院直後のリンパ節転移。両腕が上がりにくくなる後遺症や、声が出しづらくなるという困難にも直面しました。2度にわたる手術と長いリハビリ、コロナ禍での不安な日々を、家族や多くの友人の支えで乗り越えた経緯をお話ししていただきました。

「口の中がなんとなく痛い」という違和感

あれは2019年の夏ごろだったと思います。口の中がなんとなく痛い、という違和感がありました。ただ、その頃ちょうど激辛料理に夢中になっていて、「辛いものの食べ過ぎで口内炎がたくさんできたのかな」くらいにしか思っていませんでした。 市販のビタミン剤などを飲んでいましたが一向に治らず、結局1か月ほど放置してしまいました。9月に入り、いよいよおかしいと思い、病院へ行くことにしました。 当時は派遣社員として働いており、息子はまだ保育園。朝は息子を送ってから仕事へ行き、帰りはすぐにお迎えという毎日で、病院へ行く時間を確保するのも一苦労でした。なんとか会社の昼休みを利用して、近くの耳鼻咽喉科のクリニックに駆け込みました。 自分でも口の中のどこが痛いのかよくわからず、「口の中が痛い」とだけ伝えて診てもらいました。先生も「ただの口内炎とは少し違うようだけど、なんだろうね?」という感じで、ひとまずトラネキサム酸などを処方され「1週間様子を見ましょう」ということになりました。この時、先生から「舌の裏に黒っぽい出来物があるね」と言われましたが、自分では全く見えない場所だったので、特に気に留めていませんでした。

「もしかしたら、人生が変わる病気かも」と言われ

1週間後、痛みは全く引かず、再びクリニックを訪れました。そこで医師から告げられたのは、予想もしない言葉でした。 「あ、これは、もしかしたら人生が変わるような病気かもしれません」 驚いている私に、医師は「大きい病院を紹介します。2つ紹介できるのですが」と続け、大学病院とがん専門病院の名前を挙げました。 その「がん専門病院」という言葉を聞いた瞬間、「あ、これは、がんなんだ」と直感しました。クリニックでは特に検査をしたわけではなく、視診だけでした。医師は「がん」とは言いませんでしたが、紹介先の病院名で、私は自分の状況を悟りました。 どちらの病院にするか、当時は子どもも小さく、通院や入院中のお見舞いなどを考えると、とにかく家から近い方がいいだろうと判断しました。がん専門病院のある場所は少し遠かったので、家から近い大学病院にしました。 すぐに大学病院の予約を取り、受診しました。そこではMRI、CT、血液検査、胃内視鏡検査、PET検査とあらゆる検査を立て続けに受けました。 そして約1週間後、確定診断の結果を聞く日を迎えました。夫と私の母にも付き添ってもらい、3人で診察室に入りました。 医師からの診断は「舌がんです。ステージ3です」。 当時、私は40代前半でしたので「まさかこの年齢で自分が」というショックが大きかったです。 続けて、治療方針の説明がありました。 「舌を半分、切除します。また、首のリンパ節への転移の可能性も考慮し、予防的に首のリンパ節も切除します。舌の切除した部分には、ご自身の腕の組織を移植して再建します。そして、組織を取った腕には、太ももの皮膚を移植します」 まさに全身にわたる手術だということがわかり再び驚かされました。 ただ、医師からは「切除できれば大丈夫です」とも言われました。この時点では、術後の抗がん剤治療や放射線治療の話はありませんでした。

なるべく早く治療を始めたい

診断と治療方針を聞いた母が、強くセカンドオピニオンを勧めてきました。母の知人の医師に相談したところ、そう助言されたようでした。私自身は、もうここで早く治療してほしいという気持ちが強かったのですが、母の勧めもあり、もう一方の紹介先だったがん専門病院に問い合わせてみました。 すると、セカンドオピニオンの予約が取れるのが1か月も先だということがわかりました。 実は、大学病院でも手術は「11月になります」と言われていました。診断されたのが9月だったので、「2か月も待つのですか」と驚いたのですが、「今、都内の病院はどこも同じような状況です」とのことでした。 セカンドオピニオンのためにさらに1か月待ち、そこからまた手術の順番待ちとなると、いったいいつ治療が受けられるのか。これ以上時間を無駄にするよりも、ここで手術日を確定させた方が良いと判断しました。私は母を説得し、この大学病院で治療を受けることを決めました。

情報がくれた勇気と安心感

実は、クリニックで違和感を訴えていた頃から、インターネットで「口内炎 痛み 治らない」などと検索していました。その時から「舌がん」という言葉は目にしており、もしかしたらという予感はあったのです。 そして、私が診断されたのとほぼ同時期に、タレントの堀ちえみさんが舌がんで手術を受けたというニュースが大きく報じられていました。 彼女は舌の3分の2を切除したとのことでした。医師から「半分切除」と言われた私は、「堀ちえみさんよりは範囲が少ない。彼女があれだけ頑張って回復されているのだから、半分なら私もきっと大丈夫だろう」と、彼女の存在に大きな勇気をもらいました。 とはいえ、不安がなかったわけではありません。一番の不安は、やはり後遺症のことでした。舌を半分切除して、元の生活に戻れるのか不安だったので、診察の際、医師に聞いてみましたが、医師は「大丈夫ですよ」と明確に答えてくれました。その言葉に、ああ、普通の生活が送れるレベルには戻れるんだ、と少し安心したのを覚えています。

育児とリハビリに専念するために退職を決意

11月の手術は無事に終わり、約1か月の入院を経て退院しました。 当時、私は派遣社員として、がん保険などを扱う保険代理店の事務をしていました。皮肉なことに、仕事では毎日、がん保険の請求手続きの書類に目を通していました。「大腸がんになる人が多いんだな」などと思いながら、まさか自分ががんになるとは夢にも思っていませんでした。 仕事柄がん保険の必要性は理解していましたが、私自身は未加入でした。母が以前、子宮体がんになり治療を受けたことがありました。抗がん剤などの治療もなく手術だけだったこともあり、「高額療養費制度もあるし、手術で終わるなら大丈夫だろう」と軽く考えていたのです。いざ自分が当事者になると、「ああ、手術給付金付きの保険に入っておけばよかった」と心底思いました。 入院と手術にあたり、派遣の仕事は休職という形を取ってもらっていました。しかし、退院後、私は退職を決意しました。 術後のショックが大きかったこともありますが、それ以上に、退院後も毎月の検査通院があり、さらに腕や言葉のリハビリが最低でも半年は続くと聞かされていたからです。まだ手のかかる保育園児の息子の面倒を見ながら、リハビリと通院をこなし、さらに仕事に復帰するというのは、当時の私には到底無理だと判断しました。

1年に及んだ「声」のリハビリ

「切除できれば大丈夫」そう信じていたのですが、事態は思わぬ方向へ進みました。 12月に退院したのですが、年明け1月の術後検診で、転移が見つかりました。最初の手術とは反対側の、首のリンパ節への転移でした。 「え、もう?」というのが正直な感想でした。 この2度目の手術の影響は、最初の手術よりも体に残りました。1度目の手術でもリンパ節郭清をしていたため、結果的に両方の首のリンパ節を手術したことになったため、術後、両腕が肩より上に上がらなくなってしまいました。 さらに、首の周りは今でも常に何かでグッと締め付けられているような、強い突っ張り感があります。これはおそらく一生のお付き合いになるのだろうと思っています。 腕が上がらないという後遺症に加え、私を最も苦しめたのは「発声」の問題でした。 術後、滑舌がひどく悪化しました。自分でも何を言っているのかわからないほどで、息子にも何度も「え? え?」と聞き返されてしまい、そのたびに落ち込みました。 元々、私の声は今よりもっと高かったんです。でも、その高い声を出そうとすると、音が割れてガラガラになってしまう。これでは相手に伝わらないと思い、試行錯誤の末、あえて胸に響かせるような低い声を出すことで、会話が成立するようになりました。 腕のリハビリは半年から9か月ほどかかり、なんとか上がるようになりました。しかし、この「声」のリハビリは、大学病院とは別のリハビリ専門施設に通い、発声練習などを続け、結局1年ほどかかりました。今、私がこうしてお話しできるようになったのは、このリハビリのおかげです。

私を支えた「社会とのつながり」

2度目の手術をした2020年3月は、世の中がコロナ禍に突入し社会全体が大変な混乱の中にありました。私が入院していた病院も面会が厳しく制限され、不安な日々を過ごしました。 そして、息子の小学校入学とも重なりました。 私自身の体調も万全ではなく、リハビリも続く。世の中はコロナ禍で先行き不透明。そして息子の新生活が始まる。さまざまな状況を考え、私は「しばらくは家にいよう」と決めました。 そこから約3年間、専業主婦として息子のサポートと自分の体調管理に専念しました。 幸い経過は良好で体調も安定し、リハビリのおかげで日常生活に支障もなくなってきました。そして2023年、ようやく「もう一度働こう」という気持ちになり、ご縁があって現在の学校の事務職員として働き始めました。 闘病中、何が一番の支えになったか。それはもちろん、保育園児だった息子の存在、そして夫や母のサポートでした。それと同時に、友人たちの存在が本当に大きかったと感じています。 私は、自分ががんになったことを隠しませんでした。 会社の人、昔からの友人、中には10年近く会っていなかった友人にも連絡しました。「死ぬとは思っていなかったけれど、一応知らせておこう」というくらいの気持ちでした。 すると、多くの友人がすぐに「会おう」と時間を作ってくれたり、毎日のように励ましの連絡をくれたりしました。 人によっては「心配をかけるのが嫌」「可哀想だと思われたくない」と、病気のことをオープンにしない選択もあると思います。でも、当時の私はなぜか、みんなに言いたくて仕方ありませんでした。そして、その選択は私にとって大正解でした。 3年間の専業主婦時代、特にコロナ禍で社会が閉塞していた時期、私は「社会とのつながり」を失わずに済みました。ママ友たちが家に遊びに来てくれたり、近所に連れ出してくれたり。友人たちとの他愛ないおしゃべりが、どれだけ私を不安から遠ざけてくれたかわかりません。 息子にも、がんになったことは隠さずに伝えました。小さかったのでどこまで理解していたかはわかりませんが、「ママは病気なんだね」と受け止めてくれていたようです。術後にうまく話せない私に聞き返すこともありましたが、それが私たちの日常になりました。

これからがんと向き合う方へのメッセージ

私が闘病を経て、今、皆さんに伝えたいことがあります。 がんはもう「死ぬ病気」ではないと思っています。 がんは、もう「死ぬ病気」ではないと私は思っています。今の医療は進歩していますので、どうか悲観的にならないでほしいです。治療はつらいこともあるかもしれませんが、つらいことばかりを考えるのではなく、少しでも明るいこと、楽しいことを考えて過ごしてほしいと願っています。 「がんになっても良かったと思える面」を探してみてください。 つらい治療や現実と向き合う中で、ぜひ「がんになっても良かったと思える面」を探してみてください。もちろん、悪いことばかりに目が行きがちですが、必ずしもそうではありません。私にとっては、がんになったことで、周りの人の温かさに改めて気づかされました。友人たちとの関係も、以前よりずっと深まったと感じています。
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