写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:masaさん(ニックネーム)
年代:70代
性別:男性
家族構成:妻と二人暮らし
仕事:無職
がんの種類:多発性骨髄腫
診断時ステージ:不明
居住地:広島県
診断年:2021年
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2021年、masaさんは鼻血や倦怠感をきっかけに受診し、血液のがんである「多発性骨髄腫」と診断されました。当時69歳。それまで大きな病気をしたことがなく、健康に過ごしてきたmasaさんにとって、突然のがん告知は頭が真っ白になるほどの衝撃だったそうです。セカンドオピニオンを利用して転院を経験したmasaさんに、信頼できる医師との出会いや納得した治療を受けることになるまでの経緯をお話しいただきました。
鼻血と倦怠感をきっかけに受診、貧血状態だと判明
すべては、鼻血から始まりました。2021年頃、時折、鼻血が出るようになりました。ちょうど新型コロナウイルスが流行し始めた時期だったのですが、マスクの内側が赤くなることで、鼻血が出ていることに気づきました。それに加え、ひどい倦怠感もありました。
とはいえ、コロナ禍でしたから、積極的に病院に行こうという気持ちにはなかなかなれませんでした。まずは耳鼻科を受診しましたが、特に異常はないと言われました。しかし、倦怠感は一向に良くなりません。
さすがにおかしいと思い、別のクリニックを受診しました。そこで血液検査をしたところ、ひどい貧血状態であることがわかったのです。医師からは「消化器系のどこかから出血しているかもしれない」と言われましたが、最終的には「一度、血液の専門家に見てもらった方がいい」と、血液内科がある総合病院への紹介状を渡されました。
思ってもみなかった「多発性骨髄腫」という診断
総合病院の血液内科で、骨髄穿刺(骨髄液を採取して調べる検査)を受けました。そして後日、告げられた病名は「多発性骨髄腫」でした。
聞いたこともない病名でしたが、医師からは「血液のがんです」と淡々と説明を受けました。
頭の中は真っ白になり、パニック状態でした。その日は妻も同席しておらず、私一人で告知を受けました。
帰宅後、妻に「どうも血液のがんらしい。多発性骨髄腫と言われた」と報告しました。それまで入院もしたことがなく、健康そのものだった私のがん告知に、妻も非常に驚いていました。
告知を受けてから、私はすぐにインターネットで「多発性骨髄腫」について調べました。しかし、目に入ってくるのは、「完治はない」「薬が効くかどうかわからない」といった、否定的な情報ばかりでした。
ちょうどその頃、有名な俳優さんやタレントさんが同じがんで闘病されているというニュースも重なり、私の不安は頂点に達しました。
ただ、絶望的な情報ばかりではありませんでした。その中で、「ここ5、6年で治療薬が飛躍的に進歩している」ということ、そして「自家造血幹細胞移植」という治療法があることを知りました。これが、大きな希望のように感じられました。
セカンドオピニオンを経て、転院を決意
診断直後の混乱の中、私は「セカンドオピニオン」を利用することに決めました。自分でも情報を集め、血液がんの治療実績が豊富な、隣県の大きな総合病院を見つけました。
そこの専門医にセカンドオピニオンを申し込むと、その対応は驚くべきものでした。
医師も看護師も、多発性骨髄腫という病気に対して、全く特別なものとして扱わないのです。まるで「風邪と同じですよ」とでも言うような、非常に軽い感じで接してくれました。
その病院は、それだけ多くの多発性骨髄腫の患者さんを治療してきた実績があり、治療法も確立されているということなのだと思いました。最初の病院で感じた重々しい雰囲気とは正反対の対応に、私は心底ホッとしました。「この病院なら大丈夫だ」と直感的に感じました。
この安心感が決め手となり、私はセカンドオピニオン先の病院に転院することを決意しました。
段階的な入院治療から自家造血幹細胞移植まで
転院後の治療は、長期間ずっと入院するのではなく、治療のステップごとに短期間の入院を繰り返す形で行われました。
まず春先に10日ほど入院し、どの薬が合うかを確かめました。この時は飲み薬での化学療法でしたが、がん細胞が作る異常なたんぱく質(Mタンパク)の数値がなかなか下がりませんでした。不安でしたが、主治医が「急激に下がらないということは、一度下がれば急激に上がらないということかもしれないね」と独り言のようにつぶやいたのを聞き、少し安心したのを覚えています。
次に夏場、再び10日ほど入院して薬を変更しました。2~3種類の薬を試す中で、Mタンパクの数値は順調に下がり始めました。
Mタンパクの数値が安定したところで、秋口に自家造血幹細胞移植のための入院となりました。これが一番長く、約2週間の入院でした。
治療は、まず自分の造血幹細胞を採取し、その後、体内に残っているがん細胞を根絶やしにするために強力な抗がん剤を投与します。そして最後に、採取しておいた自分の幹細胞を点滴で体内に戻すという流れでした。
自家造血幹細胞移植は大変な治療だと覚悟していました。特に移植前の大量の抗がん剤投与は、副作用が強く出ると聞いていました。
実際、髪の毛は抜けましたし、食欲もなくなりました。しかし、私が想像していたほどの苦痛はありませんでした。
同時期に治療を受けた俳優の方の手記を読むと、敗血症になったり、ひどい口内炎で苦しんだりしたとありましたが、幸いなことに私にはそうした強い副作用はほとんど出ませんでした。「思ったよりしんどくなかった」というのが正直な感想です。
入院は、加入していたがん保険のおかげで個室に入ることができました。ノートパソコンを持ち込んで情報を調べたり、スマホを見たり、本を読んだり、テレビを見たり、まるでビジネスホテルに長期滞在しているような感覚でした。大きな総合病院だったので、院内にコンビニやティールームがあり、リハビリを兼ねてそこまで歩いていくのが日課でした。今思い返すと、快適な入院生活だったと思います。
現在は2か月に1度の経過観察
自家造血幹細胞移植を終えて退院した後も、治療は続きました。分子標的薬(ニンラーロ)を約2年間服用しました。また、多発性骨髄腫は骨に影響が出やすいため、骨粗しょう症を予防する薬(ゾメタ)の注射も、2023年6月まで月に1回続けました。
現在はすべての投薬治療を終え、2か月に1回の血液検査を受けながら経過観察をしている状態です。
診断から3年が経ち、私も70代になりました。治療の影響や年齢的なものもあり、体力は以前より落ちたと感じます。診断前はトレッキングなども楽しんでいましたが、今はそこまでの行動力はありません。
しかし、体力を落とさないよう、週に2~3回は1日5,000歩を目標に歩いています。治療を受けたからといって何もする気が起きないというわけではなく、比較的のんきに過ごしています。
厳しい現実を隠さず伝えてくれる、主治医との信頼関係
今の主治医は、「完治はありません」「将来必ず再発しないとは言えません」などと、厳しい現実をはっきりと言ってくださる先生です。変に希望を持たせるような言い方をされるより、私にはそのスタンスが合っていました。
主治医の言葉のおかげで、現実を受け止めた上で治療に臨むことができました。投薬治療を終える際に「このままずっと(再発せず)過ごされる方もいますよ」と言ってくれた時は、本当にうれしく感じました。
振り返ってみて、セカンドオピニオンを受けて本当に良かったと思います。自分が納得できる、安心できる病院や医師に出会うことが、治療を進める上で何より大切だと実感しました。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
私が3年間の体験を通して感じたことは、以下の3つです。
病気とは上手に付き合っていくしかないと思います。
どのような病気であれ、なってしまった以上はそれを受け入れ、上手に付き合っていくしかないのだと思います。私の場合、性格がのんきだったことも幸いしたかもしれません。
正しい情報を集めましょう(ただし、振り回されない)。
診断直後はネガティブな情報に混乱しましたが、治療薬の進歩といったプラスの情報も知ることができました。プラス面もマイナス面も、情報を広く持っておくことは大切です。ただし、情報に流されすぎず、自分に必要な情報を見極めることも重要です。
セカンドオピニオンをためらわないでください。
私にとって一番の転機は、セカンドオピニオンで転院を決めたことでした。専門的な知識がない患者だからこそ、病院の雰囲気や医師との相性といった「直感」も含めて、自分が納得できる、安心できる場所で治療を受けることが何より大切だと思います。