写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:おでんさん(ニックネーム)
年代:50代
性別:女性
家族構成:夫と子ども二人との四人暮らし
仕事:自営業(事務)
がんの種類:上咽頭がん
診断時ステージ:ステージ2
居住地:カナダ バンクーバー
診断年:2021年
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2021年10月、カナダに在住のおでんさんは、自宅の鏡で首の腫れに気づいたことをきっかけに、ファミリードクター(かかりつけ医)を受診しました。現地の医療システムの中で、予約や紹介を重ねてようやく「上咽頭がん ステージ2」と診断に至り、治療はすべて通院で行う「化学放射線療法」が選択されました。希少がんであることへの不安、海外での治療、そしてつらい副作用との闘い。診断から治療を乗り越え、現在の生活に至るまでの経緯をお話しいただきました。
診断のきっかけは鏡に映った「首の腫れ」
私が異常に気づいたのは、2021年10月23日のことでした。家を出る前に、玄関にある全身鏡で自分の姿を映したとき、左側の首が「ボコン」と腫れているのに気づきました。痛みやその他の自覚症状は全くありませんでした。
あまりの腫れに驚き、すぐに病院へ連絡しました。しかし、私が住んでいる地域では、まず「ファミリードクター(かかりつけ医)」の予約を取る必要があり、すぐには診てもらえません。運悪く当時はコロナ禍の最中で、予約なしで受診できるウォークイン・クリニックもほとんど機能していませんでした。
そうした状況で、なんとか予約が取れたのは4日後の10月27日でした。
予約と紹介を重ねた診断までの道のり
ファミリードクターのクリニックで診察を受けると、医師は深刻そうな雰囲気で、すぐに血液検査を受けるよう指示を出し、同時に耳鼻科の専門医への紹介状を書いてくれました。
翌日、紹介された1つ目の病院の耳鼻科を受診しました。そこでは経鼻内視鏡検査を受けました。そのときの医師の様子や、すぐにCT検査を指示されたことから、「これはただごとではないかもしれない」と、漠然とした不安を感じ始めました。
さらに、もっと専門的な2つ目の病院を紹介されました。この頃には事態の重大さを察し、主人にも同行してもらいました。診察の際、主人が医師に「cancerなのか(がんなのか)」と単刀直入に尋ねました。医師は言葉を濁しながらも、「生検(病理検査)の結果が出ないと確定はできませんが、ほぼ間違いないでしょう」という趣旨の説明をしました。そこで腫れている部分の細胞を採取する生検が行われました。
生検の結果が出るまでには、3週間かかると言われました。がんなのか、そうでないのか、はっきりしないまま待つこの3週間は、治療中と同じくらい、あるいはそれ以上に精神的につらい期間でした。
そして12月3日、ファミリードクターから電話がありました。専門医から直接ではなく、ファミリードクターを通して結果が伝えられるのも、こちらの医療システムの特徴です。電話口で、医師は淡々と「がんです」と私に告げました。
診断名は「上咽頭がん」。ステージは2でした。
すべて通院で行われた化学放射線療法
告知後は、すべてのがん患者さんが集約されて治療を受ける地域の「がんセンター」とのやり取りに切り替わりました。
しかし、すぐに治療が始まるわけではありませんでした。告知が12月3日でしたが、実際の治療開始は翌年2022年の1月18日からでした。治療が始まるまでの約1か月半の間に、治療方針の決定、全身への転移がないかを調べるPET検査、放射線治療に備えた歯科治療
※、そして放射線治療時に頭部を正確に固定するためのお面(マスク)の作成など、さまざまな準備が行われました。
※放射線治療の影響で顎の骨が壊死を起こすリスクがあるため、将来的に抜歯しなくてはならなくなる歯(虫歯治療で金属で被せてあるものや親知らずなど)を治療前に抜歯する治療
がんセンターでは、放射線科医、化学療法科医、精神科医、言語聴覚士など、各分野の専門家と個別に面談をしました。日本のように「主治医」が一人いて、その先生が全体を統括するという形ではなく、治療も情報も、完全に分野ごとに分かれていました。
私の場合、ステージ2の上咽頭がんということで、治療方針は「化学放射線療法」を提示されました。具体的には、放射線治療を35回(週5日、7週間)と、化学療法(シスプラチン)を週に1回、合計7回、これらを同時に行うというものでした。
上咽頭がんは手術が難しい場所にあるため、この化学放射線療法が標準治療であることは、私自身も不安の中で日本のウェブサイトなどで調べて知っていました。そのため、医師から治療方針を提示されたときも、特に疑問はありませんでした。カナダでは、患者側に複数の治療選択肢が提示されることはなく、「この治療を受けますか、受けませんか」という確認だけでした。
治療の支えとなった「情報」と「仲間」
診断当初、上咽頭がんという希少がんについて、私の周りには情報が全くありませんでした。そのため、何が起こるのかわからずとても不安でした。
そこで、日本のウェブサイトやブログを必死に検索しました。幸いにも、日本で私とほぼ同じステージの上咽頭がんを経験された方のブログを見つけ、思い切って連絡を取ってみました。すると、その方は温かく返事をくださり、「治療は永遠には続かない。必ず終わりが来るから大丈夫」と励ましてくれました。この言葉は、つらい治療を乗り越える上で、本当に大きな支えとなりました。
また、現地に住む乳がん経験者の友人からも、「治療はつらいけれど、一度その波に乗ってしまえば大丈夫」「今から受ける抗がん剤と放射線は、あなたを苦しめる敵ではなく、がんを治してくれる味方なんだよ」と声をかけてもらいました。その言葉で、治療に対する考え方を前向きなものに変えることができました。
想像を絶した副作用との闘い
1月18日から始まった約2か月間の治療は、すべて「通院」で行われました。こちらの医療システムでは、手術をしても翌日に退院するほど入院期間は非常に短く、私の治療も入院は一切ありませんでした。
治療が始まると、すぐに副作用との闘いになりました。
初回の化学療法(抗がん剤)は、想像以上につらいものでした。吐き気がひどく、「これをあと7回も続けるのか」と、先が思いやられ、心が折れそうになりました。ただ、これは医師が薬を調整してくれたおかげで、2回目以降はなんとか乗り切ることができました。
本当につらかったのは、放射線治療でした。最初のうちは何ともなかったのですが、回数を重ねるごとに、徐々に影響がでてきました。まず味覚がなくなり、食べ物の味が全くわからなくなりました。次に唾液が出にくくなり、口の中が常に乾いている状態になりました。
そして、喉の痛みが始まりました。それは「焼けるような痛み」としか表現できず、食べ物はもちろん、最後は水さえも喉を通らなくなりました。体重が減り続けると治療を続けられなくなると言われ、途中からは鼻から胃までチューブを通し、自宅で自分で栄養剤を注入する「経管栄養」が始まりました。
放射線が当たっている首の皮膚も真っ赤にただれ、ヒリヒリと痛みました。鼻にチューブが入っている違和感と、喉の激しい痛みで、呼吸さえも苦しく感じられるようになりました。
治療の最後の頃は、あまりの苦しさに記憶があいまいになるほどでした。「こんなにつらいなら、もう治療をやめたい」「いっそ死んだ方がましだ」と、本気で思いました。
家族のサポートと治療終了後の現実
このつらい通院治療を乗り越えられたのは、間違いなく家族のサポートがあったからです。私が食事を一切とれなくなったとき、当時まだ学生だった娘が私の代わりに家族3人分の食事を毎日作ってくれました。家族の支えがなければ、治療を完遂することはできなかったと思います。
3月14日、ついに35回の放射線治療と7回の化学療法が終了しました。しかし、つらさから解放されるわけではありませんでした。医師からは「放射線の影響は、治療が終わってからもしばらく続く」と聞いていましたが、その通りでした。
治療終了後、約3週間が痛みのピークでした。喉の痛みはさらに増し、夜も眠れないほどの激痛との戦いでした。病院からは医療用麻薬使用も勧められました。しかし、結局、モルヒネは使わず、市販されている中で最も強力な鎮痛剤を飲み続け、ただひたすら痛みを耐え抜きました。
治療が始まる前、私は「このつらい治療さえ終われば、すぐに元の生活に戻れる」と漠然と考えていました。しかし、現実は全く違いました。
治療が終わっても、味覚は半年以上戻りませんでした。飲み込みにくさも続き、食べることが喜びではなく、ただ栄養を摂るための「作業」になっていました。放射線の影響で髪の毛も半分ほど抜け落ち、鏡に映る自分の変わり果てた姿にも深く落ち込みました。
「当たり前」に食べ、話し、笑っていた日常が、いかに尊いものだったか。すべてを失って初めて、そのことに気づかされました。治療が終わってからの数か月間は、体力も気力も尽き果て、心身ともにどん底の状態でした。
「食べられる喜び」と現在の生活
回復の兆しが見えたのは、治療が終わってから約8か月が経った頃でした。私の誕生日に、主人が外食に連れ出してくれました。まだ味覚は半分ほどしか戻っていませんでしたが、久しぶりにレストランで食事をしたとき、口から食べ物が入っていく、その「当たり前」の行為に、「食べられるって、こんなに幸せなことだったんだ」と、涙が止まりませんでした。
治療から3年以上が経過した今、ようやく元気を取り戻し、日常生活を送れています。
もちろん、後遺症がすべてなくなったわけではありません。放射線の影響で唾液の分泌量は少なく、口が常に乾くため、外出時には水やガムが手放せません。味覚も8割から9割程度は戻りましたが、完全ではありません。
そして、治療を乗り越えた今も、定期検査のたびに感じる再発への不安とは、これからもずっと付き合っていくことになります。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
私が治療中に何度も思い出し、支えにしていた言葉があります。
どんなにつらい治療も、永遠には続かない。必ず終わりが来ます。
私も「死んだ方がましだ」と思うほど苦しいときがありましたが、徐々にですが以前のような日常を取り戻すことができるようになりました。「必ず終わりが来る」と信じ、諦めず病気と向き合ってください。
抗がん剤や放射線は、あなたを苦しめる「敵」ではありません。がんを治してくれる「味方」です。
つらいと、つい治療そのものを憎く思ってしまいますが、そう考え方を変えるだけで、少し気持ちが楽になるかもしれません。