写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:ゆうこさん(ニックネーム)
年代:50代
性別:女性
家族構成:娘と二人暮らし(息子は独立)
仕事:会社員(事務職)
がんの種類:大腸がん
診断時ステージ:ステージ4b
居住地:新潟県
診断年:2021年
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
50代で事務職の会社員として働くゆうこさんは、2021年に大腸がんステージ4bと診断されました。診断時にはすでに卵巣、肺、肝臓などへ多発転移があり、全身にがんが広がっている状態でした。体調の急変による緊急入院、そして原発巣と卵巣の摘出、人工肛門の造設という大きな手術を経て、現在も約5年間にわたり抗がん剤治療を継続されています。地方の小さな会社で働きながら、2週間に1度の通院治療を両立させることの難しさを感じつつも、SNSなどを通じて同じ病気の仲間と情報交換をし、前向きに日々を過ごされているゆうこさんにお話しいただきました。
健康診断の結果を軽視していた矢先の体調不良
私の診断のきっかけは、体調不良で病院に行ったことでした。2020年当時はコロナ禍の真っ只中で、実は会社の健康診断の結果があまり良くなかったのですが、それを軽視してしまっていました。
そのうち、夜眠れなくなり、貧血もひどい状態が続いていました。結果的にそれががんによる症状だったのですが、当時はわからず、まずは心療内科を受診しました。すると、先生が私の健康診断の結果を見て「これはちょっとおかしい」と言いました。血液検査をしてくださり、「近くのクリニックで検査を受けてください」と紹介状を書いてくれたのです。
急激な体調不良で緊急入院
紹介されたクリニックでさまざまな検査をしました。しかし、お腹がひどく張っていたため、超音波(エコー)検査などを行いましたが、「大きい病院を紹介するからそっちで診てもらった方がいいです」と言われました。
そのとき、最初はお腹の張りから婦人科系の疾患を疑われていたため、紹介された総合病院の婦人科をまず受診しました。婦人科の先生からは「卵巣がかなり大きくなっているので手術が必要ですが、その前に、消化器系に何か問題がないか検査を受けてください」と言われ、大腸内視鏡検査と胃内視鏡検査を予約することになりました。
それが2020年の12月、本当に年末ギリギリのことでした。検査は年明けということになり、私は一度自宅に戻りました。
年が明けた2021年1月15日。検査予定日の前に、私の体調は急激に悪化しました。普通に出勤していたのですが、その日は朝から本当にお腹が痛くて、会社には着いたものの「病院に行きたいので帰ります」と早退しました。
しかし、自宅に戻っても自分で病院に行ける状態ではなく、ついに救急車を呼んで、先日婦人科を受診した総合病院へ搬送されました。
救急外来でCT検査やMRI検査を受け、そのまま緊急入院となりました。その時点ではまだ婦人科の患者として入院したのですが、救急外来には婦人科の先生と消化器科の先生の両方が来てくださいました。
画像検査の結果、やはり消化器系に問題があるということで、入院から何日かして大腸内視鏡検査を行いました。そこで、直腸がんであることがわかりました。そして、直腸がんと診断が確定したことで、婦人科の病棟から消化器外科の病棟へ移りました。
主治医が「ステージ4c」といいたくなるほど進行していた大腸がん
入院したその日の夕方、個室だったので携帯電話で「入院することになったのですが、入院期間はどれぐらいになるかわかりません」と会社に連絡しました。
診断時にはすでにステージ4bで、直腸がんが原発巣でしたが、卵巣にも転移し、さらには肺への多発転移、肝転移と、全身にがんが広がっている状態でした。主治医の先生からは「4cと言いたくなるぐらいひどい状態です」と言われるほどでした。
先生からは、「原発巣(直腸)と転移した卵巣を手術で取ること、そして人工肛門を造設することになります」と説明を受けました。
治療方針に選択肢はありませんでした。私自身、具合が悪すぎて深く考える余裕もなく、「手術をしなければ、これ以上良くなることはない」と思い、「わかりました」と答えるだけでした。
1月15日に入院し、手術は1月20日に行われました。直腸の切除と卵巣の摘出、そして人工肛門の造設です。手術自体は消化器外科の先生が全て行ってくださいました。入院は約2週間、1月30日に退院しました。
5年間の抗がん剤治療と仕事との両立
手術後、退院してから2週間ぐらい経ったころに、今度は抗がん剤治療のために再度入院しました。その際、点滴をスムーズに行うためのCVポートを鎖骨の下あたりに埋め込み、第1回目の抗がん剤治療を行いました。
2回目からは通院で治療できるということで、それ以降は2週間に1回のペースで通院しながら抗がん剤治療を続けることになりました。
会社は、入院した1月15日から3月15日まで、約2か月間休職しました。有給休暇と傷病手当金を併用させてもらい、職場に復帰しました。
それから約5年、私は今も抗がん剤治療を続けています。
副作用は本当にさまざまでした。口内炎、手足のしびれ、倦怠感、吐き気というよりはムカムカする感じ、食欲不振、飲み薬のときは手足症候群など、全ての副作用がつらかったです。
治療は、先生と相談しながら副作用の状況を見て薬の量を減らしてもらったりしながら、なんとか続けてきました。遺伝子パネル検査やMSI検査も受けましたが、残念ながら私に合う特定の薬はなく、抗がん剤を多剤併用した標準治療を一通り行いました。今はそれらの薬も効かなくなってきたため、最初に使用した薬にもう一度戻して治療を続けている状態です。
治療の効果は、3か月に1回ぐらいのCT検査で確認しています。がんが抑えられていればその薬を続け、大きくなってくれば薬を変更する、その繰り返しです。
治療を「続ける」ことへの理解
私にとって一番苦労していることは、治療と仕事の両立、特に周囲の理解を得ることです。
私が住んでいるのは地方で、会社も小さなところです。2週間に1回、治療のために仕事を休まなければならないのですが、この「治療を続ける」という意味をなかなか理解してもらえません。
がんサバイバーの知り合いの中にも「私だったら抗がん剤治療はしない」という人もいますし、会社の人たちはがんのことをよく知らないので、定期的に休むことに対して、最初の頃は「仕事もしないで」というような雰囲気で色々と言われました。
休んでいる間も仕事をしている間も、私なりに精一杯やっているつもりですが、説明してもなかなか理解してもらうのは難しいと感じ、最近はもう説明するのも少し諦めかけています。ただ、最近は休むことについて直接何かを言われることはなくなりました。
ネットのネガティブな検索結果は無視し、SNSで出会った患者さんと情報共有
診断された当初、私も「直腸がん ステージ4」とインターネットで検索しました。しかし、出てくるのは余命宣告のような、悪い情報ばかりでした。それを見て、もう信じられないと思い、一切ネット検索をするのはやめました。
地元の病院には、乳がんや婦人科系のがんの患者会はあるようでしたが、大腸がんの患者会は見つかりませんでした。
同じ病気の人の情報が欲しいと思っていたとき、たまたまYouTubeで同じ大腸がんの方の動画を見つけ、「ああ、同じ体験をしているんだな」と共感しました。
そして今は、がん患者専用SNSなどを利用しています。そこに参加してからは、本当にいろいろな方と情報交換ができるようになりました。
医学的な正確な情報は主治医の先生や看護師さんからいただけますが、副作用のつらさやその対処法、周りの理解がないときの気持ちの持ちようなどは、やはり同じ体験をした人にしかわからない部分が大きいです。SNSを通じて仲間と出会えたことは、私にとって本当に大きな支えになっています。
友人関係も、がんになったことで少し変わったかもしれません。
昔からの友人のうち、本当に信頼できる、憶測でものを言ったりせず、他の人に私のことをむやみに話したりしない人、黙って話を聞いて理解してくれる友人には、がんのことを打ち明けました。
しかし、例えば子どもを通じて知り合ったお友達など、そこまで深い付き合いではない人たちには話していません。話が変に広がって、知らないところでうわさされたりするのが嫌だったからです。
今も付き合いが続いているのは、私の状況を理解してくれている友人たちです。
家族の存在という「救い」
私は娘と二人暮らしです。診断されたとき、娘は21歳か22歳ぐらいだったと思います。私が緊急入院したので、病状については私からというより、先生から直接聞いたのではないかと思います。
娘がもう大人で、自分のこと(家事や買い物など)は自分でできたことは、本当によかったです。もし娘がまだ中学生や高校生だったら、女の子1人、家に置いておくわけにもいかず、もっと大変だったと思います。
私にはもう1人、息子がいますが、当時は県外の大学に行っており(大学3年生の終わりごろ)、家にはいませんでした。現在はそのまま県外で就職しています。
息子が大学を卒業するまであと1年あるというときだったので、当時は学費のことなど心配でしたが、今は無事に就職してくれて、本当に安心しています。
子どもたちがもう手のかからない年齢だったこと。それが私にとって、唯一の救いだったと心から思います。
恵まれた信頼できる主治医との出会い
私は、医療者、特に主治医の先生に本当に恵まれたと思っています。
私の主治医は、手術をしてくださった消化器外科の先生です。通常、大きな病院では手術は外科、抗がん剤治療は腫瘍内科と担当が分かれることも多いと聞きますが、私の場合は外科の先生が術後の抗がん剤治療まで一貫して診てくださっています。
その先生が、本当に患者に寄り添ってくれる先生なのです。診察のとき、パソコンの画面ばかり見て話す先生もいると聞きますが、私の主治医は必ず患者の顔を見て話をしてくれます。
そして、とても優しい先生です。私が副作用について聞かれて「大丈夫です」と答えると、「そんなことないでしょう。1つぐらいつらいことがあるはずだよ」と、私たちが話しやすいように、つらさを引き出そうとしてくれます。この先生に診てもらえて、本当によかったと思っています。
「今を大切に」という目標
もし私が治療をしていなかったら、マラソンに挑戦しようとか、山に登ろうとか、そういう目標を考えられたかもしれません。でも、治療を続けている今、私の目標は「この瞬間を大切に生きる」ことです。
診断されてから、1日1日の積み重ねで、気がつけばもうすぐ5年になります。大きな夢ではないかもしれませんが、がんと共存しながら、「今」を大切にして、この先も元気に頑張っていくこと。それが私の目標です。
治療のためだけに生きているわけではありません。友人とご飯を食べに行ったり、SNSで知り合った仲間とオフ会で会ったり、そういう楽しみも持てるようになりました。
仕事も、お金のために必要という面もありますが、それだけではありません。もし仕事をやめて、一日中家にいて具合が悪いと寝てばかりいたら、きっと今のように元気ではいられなかったと思います。仕事があるから、頑張れているという部分も大きいのです。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
ステージ4は「末期」ではありません。
私は「ステージ4=末期」と言われることに違和感を持っています。私はステージ4bで多発転移がありましたが、診断から5年近く経った今もこうして元気に過ごしています。
見えない恐怖に負けないでください。
最初にステージ4と診断され、抗がん剤治療を勧められたときは、「この先、何年生きられるんだろう」と、見えない恐怖に怯えました。誰でもそう思うと思いますが、諦めず病気と闘う勇気を持ってください。
1日1日の積み重ねが未来を作ります。
1日1日を積み重ねてきた結果が「今」です。私のように、元気にしていられる人もいます。だから、あまり不安ばかりを持たずに、一緒に頑張りましょうと伝えたいです。
小さくてもいいので幸せだと思えることを見つけてください。
がんになったからこそ、小さなことにも幸せを感じられるようになった気がします。そして、がんを通じて出会えた仲間たちの存在も、私にとっては大きな幸せです。