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ステージ4の前立腺がん告知から約6年、温泉仲間との出会いが支えた日々

[公開日] 2025.11.18[最終更新日] 2026.01.15

写真はイメージです。(AIによる生成)
プロフィール お名前:ゴンゴンさん(ニックネーム) 年代:60代 性別:男性 家族構成:妻と子どもとの三人暮らし(子ども二人は独立) 仕事:契約社員(診断当時は自営業) がんの種類:前立腺がん 診断時ステージ:ステージ4 居住地:愛知県 診断年:2019年
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。 ゴンゴンさんは2019年、57歳の時に前立腺がんと診断されました。診断時のステージは4。リンパ節への転移、さらに骨への転移も疑われる深刻な状態でした。手術や放射線治療は選択できず、薬物療法(ホルモン療法)のみでの治療が始まりました。診断から6年以上が経過した現在も、治療しながら仕事を続けるゴンゴンさんに、診断の経緯と治療の日々についてお話しいただきました。

診断のきっかけは「血尿」

私ががんの可能性に気づいたのは、2019年の2月か3月頃だったと思います。最初の異変はトイレでの違和感です。尿の出が悪いというか、出したいのにスッキリと出ない感覚がありました。特にお酒を飲んだ後にその症状が顕著でした。 ある時、尿が少し赤っぽいことに気づきました。血尿かもしれないと思い、トイレットペーパーに尿をかけてみると、やはり白いはずの紙が赤みを帯びていました。これはおかしいと思い、すぐに自宅の近くにある泌尿器科のクリニックを受診しました。 クリニックでは尿検査と超音波検査、そして血液検査を行いました。超音波検査では「前立腺がかなり腫れていますね」と言われ、まず薬を処方されました。血液検査の結果はすぐには出ないとのことで、1週間後に再度受診するよう指示されました。

血液検査の結果、PSA値「150超」の衝撃

1週間後の受診日までに、自分でもインターネットで「前立腺」「腫れ」「血尿」といったキーワードで調べました。そこで「PSA」という腫瘍マーカーの数値が重要であることを知りました。一般的にPSA値は、65歳以下は3、65~69歳は3.5、70歳以上は4を超えると前立腺がんの疑いがあるとされています。 1週間後、クリニックを再訪しました。薬のおかげか血尿は止まっていましたが、医師から告げられた血液検査の結果は「PSA値が150を超えています」というものでした。私はその場で「これはもう、がん確定だな」と覚悟しました。 医師は「数値が良くないので、近くの大きな病院でMRI検査を受けてください」と言いました。いくつか候補の病院を挙げてくれましたが、私は「一番早く予約が取れる病院でお願いします」と頼みました。 その3日後、紹介された総合病院でMRI検査を受けました。画像データなどは、後日クリニックに送られ、結果がわかるのは1週間後くらいになると言われていました。ところが、その日の夕方に「すぐに来てください」と、クリニックから電話がかかってきたのです。 これはよほど良くないのだと直感しました。クリニックに駆けつけると、先生から総合病院から送られてきた画像を見せられました。そして、はっきりと前立腺がんの可能性が高いことを告げられました。

ステージ4、「来年の正月はもう迎えられないかもしれないな」

先生は続けて、「ただ、これがどの程度進行しているかは、もっと詳しい検査をしないとわかりません。すぐに組織検査を受ける必要があります」と言いました。そして、「もし私の親が同じ病気になったら、先ほどMRI検査を受けていただいた総合病院に連れて行きます。あそこは大学病院やがんセンターを除けば、手術、放射線治療、薬物療法の全てが可能な病院ですから」と勧めてくれました。 私は先生のその言葉を信じ、すぐに紹介状を書いてもらい、総合病院の泌尿器科を訪れました。 そこでも再度、血液検査や全身のCT検査などを行いました。血液検査の結果、PSA値の詳細な数値は記憶していませんが、依然として高い状態でした。CT検査では、リンパ節がかなり腫れていると指摘されました。「PSA値とリンパの腫れ具合からして、がんが前立腺の外に出ている可能性がかなり高いです」と、医師から説明がありました。 その2日後には、組織検査(生検)のために1泊2日の検査入院をしました。後日、妻と一緒に結果を聞きに行きました。医師の診断は、「採取した10か所の細胞全てから、がん細胞が見つかりました」という非常に厳しいものでした。さらに、骨への転移を調べる骨シンチという検査で、「背骨に転移の疑いがあります」とも告げられました。 最終的な診断は、前立腺がん、ステージ4。がんの悪性度を示すグリソンスコアという数値も「8」と高く、かなり進行している状態でした。医師からは「リンパ節や骨に転移している疑いが強いため、手術や放射線治療はできません。薬物療法(ホルモン療法)がベストでしょう」と治療方針が示されました。 あまりのショックに、私はもう医師の顔をまともに見ることができず、ずっと下を向いていました。横にいた妻の方がよほどしっかりしていて、冷静に医師の話を聞いていたのを覚えています。 「余命はどれくらいなのでしょうか」と、かすかな声で尋ねると、医師は「それは人それぞれなので一概には言えません。ただ、ステージとしてはかなり深刻な状態です」とだけ答えました。その時、私は「ああ、来年の正月はもう迎えられないかもしれないな」と本気で思いました。

仕事を辞め、治療に専念

治療はすぐに始まりました。飲み薬を毎日服用し、月に1回ホルモン剤をお腹に注射する治療です。さらに、骨転移の疑いがあるということで、骨を強化する薬も2か月に1回、点滴で投与することになりました。 当時、私は自営業で不動産業を営んでいました。従業員はおらず、1人でやっていた仕事です。不動産の仕事は、話が来てから契約まで最低でも2~3か月はかかります。もし自分の体調が悪化したり、入院したりすれば「お客さまに多大な迷惑をかけてしまう」と思い、抱えていた案件は知り合いの不動産業者に全て引き継いでもらい、新しい依頼は受けないことにして、実質的に仕事を辞めました。 当初は2週間に1回通院する必要があったため、治療と両立できる仕事を探しました。幸い、家の近くで学校給食の食材を配送するドライバーの求人があり、病気のことも話した上で契約社員として採用してもらえました。朝は早いですが昼過ぎには終わる仕事で、休みも多く、通院にも好都合でした。 その後、治療が進み、通院が月1回になってからは、金曜日の午後に予約を入れ、仕事が終わってから病院に行くという生活リズムが確立しました。

家族の支えと治療経過

妻には、最初のクリニックで血液検査の結果が悪いとわかった時点から前立腺がんかもしれないと話していました。妻は医療関係の仕事をしていることもあり、前立腺がんは比較的進行が遅く、治りやすいがんだというイメージを持っていたようですが、ステージ4という診断にはショックを受けていました。それでも、私以上に冷静に現実を受け止め、支えてくれました。 告知を受けて落ち込んでいた私に、妻は「もう仕事はやらなくていいから、好きなことをやりなさい」と言ってくれました。その言葉には本当に救われました。 治療を開始すると、PSA値は順調に下がっていきました。ずっと下がり続け、0.1くらいになった時、担当の先生が「うーん、この辺が限界かな」と独り言のようにつぶやきました。 私もネットで調べていましたが、私のようなケースでは、薬が効くのは平均1~2年で、その後PSA値が再び上昇し始めることが多いと知っていました。ですから、毎月の血液検査は、良い結果が出ている間もずっと不安でした。 しかし、私のPSA値は医師の予想に反してさらに下がり続け、ついには「0.002」という、それ以上は計測不可能というレベルにまで達しました。そして、その状態がもう3年以上も続いています。 主治医も「最初の状態を考えると、こんなに長く安定しているケースは、自分はあまり経験がない」と驚いていました。 また、あれだけ心配していた骨への転移についても、うれしい変化がありました。PSA値が測定不能レベルまで下がっているのに、骨の影だけが消えないことを医師が不思議に思い、再検査した結果、「これだけPSA値が下がっても消えないということは、これは転移の影ではありませんね」という診断になったのです。それを機に、2か月に1回受けていた骨強化の点滴も中止になりました。 現在も半年に1回はCT検査を受けていますが、肺や肝臓など、他の臓器への転移も一切見つかっていません。

わらにもすがる思いで通った温泉での出会い

手術も放射線もできず、薬物療法しかないと言われた時、私は「できることは何でもやろう」と思いました。 まず思い浮かんだのが、がん患者が集まる秋田県の玉川温泉でした。しかし、名古屋からではあまりにも遠い。そこでネットで調べ、福島県に同じようにがん患者さんが集まる温泉宿があることを見つけ、そこに行ってみることにしました。 そこは岩盤浴などができる湯治宿で、私と同じようにがんと闘っている人たちが大勢集まっていました。大部屋で雑魚寝するプランを選んだのですが、同室になった人たちは皆、がん患者でした。そこで出会った人たちが、とても前向きに治療に取り組んでいる姿を見て、私も「一緒に戦っているんだ」と、とても勇気づけられました。 その宿で、私と同じ前立腺がんですが、私より若い男性とも知り合いました。彼も私と同じように薬物療法中でした。彼とはLINEを交換し、定期的に情報交換する仲になりました。 彼から、岐阜県にもがんに良いとされる有名な温泉があると教えてもらいました。そこなら名古屋からも日帰りで行ける距離です。福島から帰ってきてからは、ほぼ毎週のようにその岐阜の温泉に通いました。 そこは小さな湯治場で、6人も入ればいっぱいになるような湯船が一つあるだけです。来るのは常連客ばかりで、見た目にもどこか病気を抱えているとわかるような人たちが集まっていました。「自分は肺がんで」「ここにもう何年も通っている」といった話を自然と交わすようになりました。まるで患者会のようでした。そういう人たちの話を聞いているうちに、少し気持ちが楽になりました。 ただ、つらい別れもありました。福島で出会った彼から、ある日「PSAが上がってきた。今から岐阜の温泉に向かう」と連絡がありました。私も駆けつけ、現地で再会しましたが、彼は「もうここしか頼る場所がない」と追い詰められた様子でした。その1~2か月後、彼にLINEを送ると、奥さんから「主人は亡くなりました」と返信がありました。本当にショックでした。 ※「温泉ががんに効くという」という科学的根拠はありません

「来年の正月はいない」から6回目の正月を迎え

診断から6年以上。告知された当初は「来年の正月はいない」と思っていたのに、もう6回も正月を迎え、60歳も過ぎました。妻が「好きなことをやりなさい」と言ってくれたおかげで、診断後は一度も入院することなく、食事の制限も特になく過ごせています。 あれほど毎月不安だったPSA値も、3年以上「0.002」が続くと、さすがに慣れてきました。今では病院に行っても「どうせ今月も数値は一緒だろう」と、落ち着いた気持ちで過ごすことができています。

これからがんと向き合う方へのメッセージ

私がステージ4と診断されてから5年半、安定した状態を保てている経験から、今がんと向き合っている方にお伝えしたいことがあります。 病気を真正面から受け止めてください。 私も最初はショックでした。しかし、がんになってしまった事実は変えられません。まずはその現実をしっかりと受け止めることがスタートだと思います。 「必ず治す」という気力を持ってください。 落ち込んでいるよりも、「がんになってしまった以上は仕方ない。絶対に治してやる」と強く思うことが大切です。その気力が、治療に向き合う精神状態に良い影響を与えると信じています。 信頼できる医師を見つけてください。 治療は長く続く可能性があります。どんな小さなことでも質問でき、こちらの話をしっかり聞いてくれる、コミュニケーションの取りやすい医師を見つけることは、治療の安心感に直結します。 仲間を見つけてください。 私は温泉という場所でしたが、同じ病気や、さまざまな病気と闘う人たちと出会い、話ができたことは、何よりの励みになりました。「戦っているのは自分一人ではない」と思えたことが、大きな支えになりました。
体験談 前立腺がん

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