写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:まさよしさん(ニックネーム)
年代:50代
性別:男性
家族構成:妻と子どもとの三人暮らし(三人の子どもは独立)
仕事:会社員
がんの種類:肺がん
診断時ステージ:ステージ4
居住地:千葉県(診断時は大阪府)
診断年:2023年
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
まさよしさんは、2023年に会社の健康診断をきっかけに肺がんが判明しました。診断時はステージ4で、脳やリンパ節への転移も見つかりました。大阪での単身赴任中に診断を受け、治療のために千葉の自宅に戻り、東京の病院で治療を開始。当初のがんのタイプから途中で変化が見られるなど、複雑な経過をたどりました。会社のサポートや家族の支えを受けながら、どのように仕事を続けながら治療と向き合ってきたのかをお話しいただきました。
健康診断で告げられた「要精密検査」
2023年、私が大阪へ単身赴任していた時のことです。毎年受けている会社の健康診断で、肺に影が見つかりました。結果通知には「要精密検査」と書かれていました。
まず、単身赴任先の住まいの近くにある内科クリニックを受診しました。そこの先生がレントゲン写真を見るなり、「大きな病院で精密検査を受けてください」と言い、すぐに紹介状を書いてくれました。紹介されたのは、そこから一番近い総合病院でした。
ステージ4の告知と転院
総合病院では、気管支鏡検査で肺の細胞を採取して詳しく調べました。その結果、告げられた病名は「肺がん」でした。
さらに詳しい状況を知るためにPET-CT検査などを受けたところ、がんは原発巣である右肺だけにとどまっていませんでした。左肺にも小さな影があり、脳とリンパ節への転移も見つかり、ステージ4と診断されました。
会社の健康診断で見つかったこともあり、診断結果はすぐに会社へ報告しました。ステージ4であること、これから化学療法が始まるであろうことも伝えました。会社は「治療に専念してください」と温かい言葉をかけてくれ、全面的にサポートすると約束してくれました。
当時、私は大阪に一人で暮らしていましたが、会社は「家族がいるところの方がいいだろう」と、千葉の自宅に戻れるよう手配してくれました。すぐに東京本社への異動辞令が出され、治療に専念できる環境を整えることができました。本当にありがたい配慮でした。
大阪の病院で診断は確定していましたが、治療はこれからです。治療は、自宅のある千葉から通える東京の病院で行うことに決めました。自分でインターネットを使い、がん治療、特に私のタイプのがん治療に実績のある病院を探し、転院することにしました。
千葉の自宅に戻り、家族には全てを話しました。妻は当然ながら非常に驚いていましたが、「なんとかなるよ、私がいるから大丈夫」と言ってくれました。その一言が、当時の私にとってどれほど心強かったかわかりません。子どもたちも状況を理解してくれ、サポートしてくれました。別居している娘は病院に付き添ってくれたり、同居している息子は病院への送迎などいろいろと手伝ってくれました。
二転三転した治療の道のり
東京の病院での治療方針は、手術や放射線治療は難しく、化学療法で進めるというものでした。抗がん剤と免疫チェックポイント阻害薬を組み合わせた治療から開始することになりました。
最初の治療は、副作用を慎重に見るために3週間程度入院して行いました。副作用は、吐き気などはそれほどきつくありませんでしたが、だるさや、シャワーを浴びる時に肩が上がりにくくなるといった症状がありました。ただ、全く動けないというほどではありませんでした。
退院後は通院治療に切り替わりましたが、その後も化学療法を受ける際は、点滴と経過観察のために1週間ほどの入院が必要でした。仕事には復職しましたが、会社の配慮でほとんどを在宅勤務で対応させてもらいました。
しかし、ここからの2年間の治療は、試行錯誤の連続でした。まず、最初の抗がん剤と免疫チェックポイント阻害薬の併用療法を4回行いましたが、1回目の治療の効き目は、期待していたほどではありませんでした。通常、この治療がよく効くタイプの場合、がんはかなり縮小するそうなのですが、私の場合は半分程度しか縮小しなかったのです。この時から、主治医も「もしかしたら、診断されているタイプとは少し違う性質を持っているのかもしれない」と考えていたようでした。
その後、免疫チェックポイント阻害薬の単剤治療に移行しました。しかし、単剤治療の3回目あたりで筋肉の炎症という副作用が出てしまい、2か月ほど治療を休まなければなりませんでした。 治療を再開したものの、残念ながら薬が効かなくなり、がんが再び大きくなってしまいました。
次に主治医が試したのは、最初に行った抗がん剤治療をもう一度行う「リチャレンジ」という方法でした。しかし、これも効果は限定的で、がんはまた大きくなってしまいました。
次の手をどうするか。そこで主治医から「遺伝子パネル検査」の提案がありました。がん細胞の遺伝子を網羅的に調べ、治療薬の手がかりを探す検査です。保険適用で受けられるとのことだったので、すぐに受けることにしました。
この遺伝子検査の結果、私のがんは非常に複雑なタイプであり、治療の過程でがんの性質が変化している可能性があることもわかってきました。
その結果に基づき、別の種類の免疫チェックポイント阻害薬を試すことになりました。ところが、今度は喉の粘膜炎という副作用がひどく出てしまいました。8か月もの間、喉の激しい痛みに苦しみました。
その間にも、放射性医薬品を使った別の治療も試しましたが、残念ながらこれも私には効果が見られませんでした。
また、治療と並行して、2023年の12月頃には、症状を和らげるための放射線治療も受けました。肺の腫瘍が気管を圧迫するようになり、咳が止まらず呼吸も苦しくなってきたためです。この放射線治療のおかげで、苦しかった症状はかなり楽になりました。
そして最近、さまざまな検査を重ねた結果、がんのタイプがまた変わったことがわかりました。現在は、その新しいタイプに合わせた別の抗がん剤治療を始めたところです。今後も副作用の出方を見ながら、通院でこの治療を続けていくことになります。
治療を支えてくれたもの
このように、私の治療は二転三転し、診断も難しい状況が続きました。それでも主治医の先生への信頼が揺らぐことはありませんでした。先生がいつも、こちらの話を本当によく聞いてくれたからです。
私はこの2年間で、後悔したくないという思いから、セカンドオピニオンを3回受けました。主治医は嫌な顔一つせず、「どうぞ聞いてきてください」というスタンスでした。そして、セカンドオピニオンの結果を持ち帰ると、それを病院内のカンファレンスで検討し、その結果を私にきちんとフィードバックしてくれました。診断が難しい状況でも、包み隠さず説明してくれるその誠実な姿勢に、ずっと支えられています。
がんの診断を受けてからは、それまで全く知識がなかったため、必死で情報を集めました。特に参考になったのは、同じようにステージ4のがんを経験された方の闘病記です。 標準治療のことは医師から説明がありますが、闘病記には体験者ならではの生活の知恵が詰まっていました。どのような食事を心がけていたか、どんな体操をしていたかなど、治療以外の面で非常に参考になりました。ほかにも、インターネットで情報を検索したり、専門医が解説するYouTube動画を見たりして勉強しました。
そして何より、私の一番の支えは家族です。特に妻は、病院への通院にもいつも嫌な顔一つせずに付き添ってくれます。家の中でもさまざまな手伝いをしてくれ、本当に感謝しかありません。
がんになって、できなくなったこともあります。私は音楽活動が趣味で、歌を歌ったり和太鼓を叩いたりしていました。しかし、がんがリンパ節に影響しているせいか、声が出にくくなってしまいました。活動はしにくくなりましたが、それでも「意地」で、今もできる範囲で続けています。
がん治療は選択の連続です。後悔しないためにも、主治医とよくコミュニケーションを取り、疑問に思ったことは率直に相談することが大切だと思います。私の体験が、少しでもどなたかのお役に立てれば幸いです。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
私の経験から、これからがんと向き合う方や、健康に不安を感じている方にお伝えしたいことが2つあります。
健康診断で「経過観察」でも、精密検査を受けてください。
私自身、今回の診断の1年前に受けた健康診断でも、肺に影があり「経過観察」という結果が出ていました(結果的に、今回のがんが見つかった場所とは違う部位でしたが)。「経過観察」や「精密検査不要」と書かれていると、多くの人はそのままにしてしまうと思います。しかし、少しでも疑わしい所見があれば、精密検査を受けることを強くお勧めします。
腫瘍マーカーで「異常なし」でも安心しないでください。
健康診断のオプションなどで腫瘍マーカー検査を受けて、「異常なし」だったからと安心しないで欲しいです。私自身、オプションで腫瘍マーカー検査を毎年受けており、数値が正常だったために「自分は大丈夫だ」と安心していました。しかし、結果として早期発見にはつながりませんでした。腫瘍マーカーの数値がはっきりと上がってくる頃には、がんがかなり進行してしまっている可能性もあります。早期発見の指標としては、あまり当てにならないと痛感しています。