写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:りょうさん(ニックネーム)
年代:60代
性別:女性
家族構成:夫と二人暮らし(診断時は夫の両親も同居)
仕事:自営業(当時)、現在は無職
がんの種類:子宮頸がん、悪性葉状腫瘍
診断時ステージ:子宮頸がん(ステージ1B)、
悪性葉状腫瘍(中程度の悪性度)
居住地:愛知県(子宮頸がん治療は岐阜県、
悪性葉状腫瘍治療は神奈川県)
診断年:子宮頸がん(2009年)、悪性葉状腫瘍(2011年)
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
47歳で子宮頸がん、その後、希少がんである悪性葉状腫瘍と相次いで2つのがんを経験したりょうさんは、仕事と治療の両立に悩み、自ら営んでいた会社を廃業するという大きな決断をしました。治療後もさまざまな後遺症と向き合いながら、現在はその経験を生かしてピアサポーターとして活動しています。自身の経験を通して見つけた「細く長く、無理をしない」生き方についてお話しいただきました。
仕事優先で先延ばしにした検診、そして子宮頸がんの告知
私が最初にがんの告知を受けたのは2009年の8月、47歳の時でした。もともと子宮頸がん検診では、異形成と診断されたり異形成は認められないと診断されたりを数年間繰り返しており、クリニックで定期的に診察を受けるように言われていました。しかし、当時は自営業で会社経営をしており、多忙な日々を送る中で、つい自分の体のことは後回しになりがちでした。気づけば、1年ほど定期検診から足が遠のいていました。
久しぶりに検診を受けると、「少し悪い細胞が出ている」と言われ、すぐに大きな病院を紹介されました。仕事と治療を両立させるため、自宅のある愛知県からではなく、職場に近い岐阜県の病院で精密検査を受けることにしました。検査の結果は「子宮頸がん、ステージ1B」。ほぼステージ2に近い状態でした。
診断を受けたのは8月でしたが、従業員もいる会社をすぐに休むわけにはいきません。仕事の段取りをつけるため、主治医に無理を言って手術を12月まで延期していただきました。治療は、子宮と卵巣、卵管をすべて摘出する広汎子宮全摘出術とリンパ節の郭清、さらに術後の再発予防として放射線治療を行うことになりました。抗がん剤治療も選択肢としてありましたが、仕事柄、髪が抜けることにどうしても抵抗があり、主治医と相談した上で放射線治療を選びました。
しかし、この放射線治療が思った以上に体にこたえました。すぐに仕事に戻れると考えていたのですが、副作用が想像以上につらく、なかなか思うように復帰できませんでした。この時の経験が、のちの大きな決断につながることになります。
追い打ちをかけた希少がん「悪性葉状腫瘍」との出会い
子宮頸がんの手術から約1年後、術後の経過観察で受けた造影剤CT検査で、今度は乳房に白い影が見つかりました。実はそのしこり自体は、子宮頸がんが見つかる前から気づいており、一度検査をして「良性」と診断されていたものでした。
経過観察で指摘された後、同じ病院の外科を受診している間に、しこりは急激に大きくなっていきました。わずか1週間から10日ほどで、大豆くらいの大きさからゴルフボール大にまで大きくなりました。医師からは「悪性はまれなので、まずは腫瘍だけ取りましょう」と説明を受け、腫瘍のみを摘出する手術を受けました。
ところが、摘出した腫瘍の病理検査の結果は「悪性」。悪性葉状腫瘍という、非常にまれな肉腫の一種でした。医師からは「追加の切除が必要です」と告げられました。2011年4月、二度目のがん告知でした。
問題は、この悪性葉状腫瘍が希少がんであるがゆえに、その病院ではほとんど症例がなかったことでした。主治医が1週間のうちに3人も替わり、渡された説明資料は、医師の手書きのイラストが描かれた紙が1枚だけ。「悪性のため追加の切除が必要」と書かれているものの、子宮頸がんの時のような詳しい説明はありません。医師たちの戸惑う様子も伝わってきて、ここで治療を続けることに強い不安を覚えました。
自分で探し当てた専門医と、大きな決断
仕事をどうするか、追加の手術をどこで受けるか。悲しんでいる暇もなく、私は自分で情報を集め始めました。インターネットで「悪性葉状腫瘍」と検索し、このがんに関する文献を書いている医師が神奈川県の大学病院にいることを見つけました。娘に相談し、その先生に診てもらうことを決意しました。
神奈川の大学病院の先生はとても落ち着いていて、「悪性なら追加の手術が必要ですね」と、はっきりと説明してくれました。私が術後の治療について尋ねると、「悪性葉状腫瘍は放射線治療も抗がん剤も効果がありません。もし再発したり転移したりした場合は、手術で切除するしかありません。血液に乗って全身に回ってしまったら、諦めてください」と、すぐに答えが返ってきました。治療法がないという厳しい現実でしたが、その明確な説明に、私はかえって腑に落ちたというか、この先生を信じようと覚悟が決まりました。
そして、この時、私はもう一つの大きな決断をしました。会社の廃業です。すでに子宮頸がんの治療による後遺症で日常生活にも影響が出ており、このまま仕事を続けるのは難しいと感じていました。二度目のがん告知が、私の背中を押した形です。
追加の手術と術後の経過観察のため、私は一人で神奈川県に移り住みました。知り合いのいない土地での一人暮らしは、体力的にも精神的にも不安の大きいものでした。幸い、術後の経過は良好で、半年後に「地元の病院で定期的に検査を受ければ大丈夫だろう」と許可が出て、愛知県の自宅に戻ることができました。
がんが残した「後遺症」と共に生きる
2つのがんの治療は終わりましたが、私の体にはさまざまな後遺症が残りました。子宮頸がんの手術と放射線治療の影響は大きく、腸閉塞で度々入退院を繰り返して、2023年12月には開腹手術もしました。特に、排尿と排便の障害に今も悩まされています。
まず、尿意をほとんど感じなくなってしまいました。そのため、公共交通機関に乗るのが怖くなり、遠出をする際は常にトイレの場所が気になります。また、排便に関しても常に残便感があり、すっきりすることがありません。いつ腹痛に襲われるかわからないという不安から、外食の際もまずトイレの場所を確認する癖がつきました。
さらに、リンパ節を切除したことによるリンパ浮腫のため、体を温めすぎることができません。大好きだった温泉旅行にも行けなくなってしまいました。悪性葉状腫瘍の手術をした側の肩は、乳房を部分的に切除した影響でひどく凝るようになりました。
がんになる前にできていた多くのことができなくなり、生活の質(QOL)は正直、落ちたと思います。しかし、できないことを嘆いていても始まりません。自分の体と相談しながら、できる範囲で楽しめるように気持ちを切り替える工夫を続けています。
孤独から見つけた新たな役割「ピアサポーター」
愛知に戻り、長年続けてきた仕事がなくなったことで、私は社会から取り残されたような強い孤独を感じました。娘も大学を卒業し、自分の手から離れていきました。そんな時、同じ病気の人の相談に乗る「ピアサポート」という活動があることを知りました。
「自分の経験が、今まさにがんと闘っている誰かの役に立つかもしれない」そう思い、研修を受けてピアサポーターとしての活動を始めました。今ではこの活動が、私の生きる糧になっています。相談に来られた方が、最初は暗く落ち込んだ表情をされていても、話をじっくりと聞き一つひとつ応えることで、最後には「ありがとう」と少し明るい顔で帰っていかれる。その瞬間に、大きなやりがいを感じます。
活動を通して学んだのは、多くの患者さんが「不安」を抱えているということです。その不安の根底にあるものに寄り添い、一人で孤立してしまわないように、必要であれば社会的支援につなげていく。それが私たちの役割だと考えています。
私は今、毎朝目が覚めたことに感謝し、夜寝る前には「今日も一日無事に過ごせた」と、その日を振り返るようにしています。がんになったことで失ったものもありますが、一日一日を大切に生きるという、新しい価値観を得ることができたと思っています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
私の経験から、今がんと向き合っている方にお伝えしたいことがあります。
• 頑張りすぎず、「細く長く」を心がけてください。
患者さんは治療だけでもう十分に頑張っています。それ以上、無理をする必要はありません。「頑張らない努力」も時には大切です。
• 今この瞬間を大切に、自分自身を可愛がってあげてください。
忙しい日々の中では、自分のことを後回しにしがちです。しかし、病気をしたからこそ、自分自身と向き合い、大切にする時間を持って欲しいと思います。
• 一人で抱え込まないでください。
不安や悩みを誰かに話すだけで、気持ちが楽になることがあります。ご家族や友人、そして私たちのようなピアサポーターもいます。孤立しないことが大切です。