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肺がんステージ4、大阪・関西万博に行くことを目標に生き抜いた8年に及ぶ薬物治療

[公開日] 2025.11.06[最終更新日] 2025.12.26

写真はイメージです。(AIによる生成)
プロフィール お名前:モモ日和さん(ニックネーム) 年代:50代 性別:女性 家族構成:夫と子ども三人と五人暮らし(診断時) 仕事:ベビーシッター がんの種類:肺がん 診断時ステージ:ステージ2B 居住地:大阪府 診断年:2018年
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。 2018年にモモ日和さんは、肺がんステージ2Bと診断されました。その約2年前、高血圧の治療中の検査で偶然に肺の影が見つかりましたが、担当医からは2年間「大丈夫」と言われ続けました。止まらない咳に不安を覚え、自ら呼吸器内科を受診したモモ日和さんが告げられたのは、進行した肺がんという厳しい現実でした。さらに手術中にステージ4相当と判明。先の見えない治療が始まったあの日から8年、分子標的薬による治療を続けながら生きる日々についてお話していただきました。

始まりは「重度の貧血」での緊急入院

全ての始まりは、もう10年以上前から患っている高血圧の治療で通っていた大学病院でのことでした。2015年か2016年頃だったと思います。定期的な採血をしたところ、ヘモグロビンの値が「5」しかないことがわかりました。「重度の貧血です」と言われ、その日のうちに緊急入院することになったのです。 原因がわからないということで、全身の精密検査を受けました。その結果、肺に小さな影があることがわかりました。ただ、高血圧の担当医からは「大丈夫です」と言われ、退院後は半年に1回のCT検査で経過を見ていくことになりました。 それから約2年間、私は「大丈夫」という言葉を信じ、半年に1回のCT検査を受け続けました。検査結果の詳しい説明はなく、画像を見せてもらうこともありませんでした。「なぜ半年に1回もCTを撮るのだろう」と少し疑問に思いながらも、大学病院の先生が言うことだからと、深く考えないようにしていました。

止まらない咳、自ら動いた専門医への受診

2018年の春頃から、今度は咳が止まらなくなりました。季節性のものかと思いましたが、夏になっても一向に治まりません。夜も眠れないほどひどくなり、家族も心配していました。鍼灸院で治療も受けましたが、効果はありませんでした。 CT検査では異常がないと言われているのに、この咳は何なのだろう。私は、胸部以外に原因があるのではないかと思い、近所の病院で腹部の検査も受けましたが、やはり「異常なし」。それでも咳は続きました。 「もう一度、ちゃんと呼吸器の専門の先生に診てもらいたい」。その思いが日に日に強くなりました。高血圧の担当医に、同じ病院の呼吸器内科への紹介状を書いて欲しいとお願いしました。先生は「呼吸器内科の受診は必要ありません」というような反応でしたが、私は「怖いので行かせてください」と食い下がりました。渋々といった様子で先生は紹介状を書いてくれ、私はその翌日、すぐに呼吸器内科を受診しました。 呼吸器内科の医師は私のCT画像を見るなり、「これは、がんの前駆病変です。サイズも胸腔鏡手術で取れるかどうかの瀬戸際まで大きくなっています。すぐに切った方がいい」と言いました。2年間「大丈夫」と言われ続けた影の正体が、がんの一歩手前の病変だったのです。 そこからは、事態がめまぐるしく動きました。気管支鏡検査のための入院予約、PET-CT検査と、立て続けに検査が進んでいきました。2018年9月、気管支鏡検査で「ほぼ黒に近いグレー」、PET-CT検査では赤い集積が見られ、「ほぼ、がんで間違いないでしょう」と告げられました。そして、すぐに呼吸器外科へ紹介され、手術日が10月に決まりました。

手術後にわかった「ステージ4」の現実

手術前の診断は、ステージ2Bでした。だから私も家族も、「手術で悪いものを取れば終わりだ」と考えていました。しかし、現実はもっと過酷なものでした。 麻酔から朦朧としながら覚めかけた時、枕元で医師が夫に話している声が聞こえてきました。「胸水からがん細胞が見つかりました。何度調べても間違いありません。ステージ4に相当します」。その言葉が、ぼんやりとした意識の中に突き刺さりました。ああ、私はステージ4なんだと。 医師と夫は、私がまだ眠っていると思っていたのでしょう。夫は「僕からは妻に話せません」と動揺していました。後から医師に直接説明を受けるよりも先に、私は自分の本当の病状を知ってしまったのです。 手術を終えてみると、原発巣は切除できたものの、目に見えないがん細胞が胸腔内に散らばっている可能性があるとのことでした。これは、いつどこに再発・転移してもおかしくないことを意味していました。

分かれた治療方針と、自ら下した決断

退院後の治療方針を巡って、呼吸器外科と呼吸器内科の医師の間で意見が分かれました。 外科の医師は、「目に見えるがんが今あるわけではない。抗がん剤のつらさを考えれば、次にがんが見つかってから治療を始めてもいいのではないか」という考えでした。 一方、内科の医師は、「ステージ4である以上、何らかの薬物治療をした方がいい」という意見でした。 どちらを選ぶかは、私自身に委ねられました。どうすればいいのかわからず、私はインターネットで情報を探しました。「肺がん」「術中」「胸水」「がん細胞」といったキーワードで検索すると、症例は少ないながらも、同じような状況の患者さんに関する学会の抄録などが見つかりました。そこには、術後に何らかの治療をした方が生存率は高いというデータが示されていました。 抗がん剤がどれほどつらいものか、当時は全く知識がありませんでした。それでも、私は「少しでも長く生きられる可能性があるのなら」と、抗がん剤治療を受けることを決意し、その旨を医師に伝えました。

8年間に及ぶ分子標的薬による治療

治療方針が決まると、切除した腫瘍を使って遺伝子検査が行われました。その結果、私のがんには「EGFR遺伝子変異」という特徴があることがわかりました。このタイプの肺がんには、「タグリッソ」という分子標的薬が効果的であると説明を受けました。 当時、タグリッソは最新の薬でした。私は、まずほかの分子標的薬による治療を受け、タグリッソは後治療のためにとっておきたいと主治医の先生に相談しました。「この薬が効かなくなったら、次の薬はない」という思いからでした。しかし、主治医の先生は、「ほかの分子標的薬の効果がなくなり、EGFR T790Mという変異が見つからないと使えないため、タグリッソから治療を始めたほうがいい」と言われ、2018年の暮れから、タグリッソの服用が始まりました。 薬が効いてくれることを祈る毎日でしたが、副作用との闘いも始まりました。一番つらかったのは、体が鉛のように重くなる倦怠感と、1年近く続いた不正出血です。体重は10kg以上落ち、食欲もわかず、鏡に映るやせ細った自分の姿に落ち込みました。副作用があまりにひどい時は、薬の量を減らしたり、奇数日と偶数日で飲む量を変えたりと、主治医と相談しながら調整を重ねました。 治療の方向性はこれで良いのか、他の医師の意見も聞いてみたいと思い、がん研究センターと他の大学病院でセカンドオピニオンも受けました。ある医師は「そんなにつらいなら薬をやめてはどうか」と言い、別の医師は治療の継続を勧めました。さまざまな意見を聞く中で、病院や医師によって考え方が違うのだと実感し、最終的には自分で納得して今の主治医のもとで治療を続けていこうと決めました。

主治医と築いた信頼関係、そして未来への目標

実は、診断当初の担当医とはあまり相性が良くなく、自分で評判の良い先生を調べて、主治医を変えてもらった経緯があります。今の主治医は、非常に丁寧に診察してくれますし、嘘を言わない誠実な先生です。 治療を始めた頃、私は子どもたちを連れて診察に行き、先生に自分の状態を改めて説明してもらいました。先生は子どもたちに、「お母さんは4週間に1度、病院に来てもらっています。4週間後にまた元気で会えるかは、誰にもわかりません。それがステージ4のがんです」と、はっきりと伝えました。私も子どもたちも、その言葉で初めて、自分たちが置かれている状況の厳しさを本当の意味で理解したのです。 病気がわかってから、身辺整理はほとんど済ませました。お葬式の準備やお金の整理も終え、いつ何があっても家族が困らないようにしてあります。しかしそれは、生きることを諦めたわけではありません。 治療開始から8年目に入り、ようやく心に余裕が生まれてきました。今年の1月から、以前たまにやっていたベビーシッターの仕事を本格的に再開し、個人事業主として登録しました。来月の予約が入ると、「それまでは頑張って仕事をしないと」と、心に張りが生まれます。仕事に行くために外を歩き、子どものお世話をするために準備をする。社会と関わることで、ぐったりと寝ているだけだった毎日が変わりました。 ベビーシッターの仕事は、今を生きるための目の前の目標ですが、長期的な目標も持っています。それは、2年後に横浜で開かれる「花博」に行くことです。 最初の頃、「大阪・関西万博を見るまで生きていたいです」と言いましたが、医師から「まずは東京オリンピックを目指しましょう」と言われました。その目標を達成し、次に目標にしていた関西万博にも行くことができました。 1か月後、自分がどうなっているかはわかりません。それはがん患者でなくても同じです。だからこそ、先の見えない未来を憂うのではなく、今日一日、そして1か月後、1年後という少し先の未来のために、自分にできることをして生きていきたいと思っています。

これからがんと向き合う方へのメッセージ

今、同じようにがんと闘っている方、特に分子標的薬での治療を始めたばかりの方に伝えたいことがあります。 • 薬が効いている「今」を大切にしてください。 効果が出ている時間は、永遠ではないかもしれません。だからこそ、再発の不安に怯えて過ごすのではなく、その時間を大切に、我慢せずにやりたいことをやって欲しいと思います。 • 今の治療が、未来の選択肢につながるかもしれません。 私が治療を始めた頃は、タグリッソの次の分子標的薬はありませんでした。しかし今は、新しい薬も開発されています。一日一日、治療を頑張って生きることで、未来に新しい治療法と出会える可能性が生まれます。 • 一人で抱え込まないでください。 私もSNSを通じて、同じ病気の仲間と情報交換をすることで、何度も助けられました。副作用の対処法を教え合ったり、ただ気持ちを共有したりするだけでも、心の支えになります。患者会などに参加してみるのも良いかもしれません。
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