写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:みっちょんさん(ニックネーム)
年代:60代
性別:女性
家族構成:一人暮らし(診断時、大学生の息子と二人暮らし)
仕事:派遣社員
がんの種類:乳がん
診断時ステージ:ステージ2B
居住地:東京都
診断年:2019年
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
派遣社員としてフルタイムで働き、大学生の息子さんを育てていたみっちょんさん。突然「乳がん」と告知されたのは2019年のことでした。仕事を休むことなく治療と向き合うことを決意し、約半年に及ぶ抗がん剤治療のつらい副作用や、告知による不安を克服していきました。治療の日々を支えた仕事や家族、そしてかけがえのない仲間との出会いについてお話しいただきました。
治療は「治療実績」が豊富ながん専門病院を自ら探して転院
乳がんと診断されたきっかけは、会社の人間ドックでした。マンモグラフィー検査で異常が見つかり、「要精密検査」という結果が出たため、すぐに勤務先からアクセスの良い総合病院で精密検査を受けました。
画像検査では、乳がんの疑いがかなり高いということでしたが、生検の結果がまだ出ていませんでした。後日、生検の結果を聞きに行った日、医師からはっきりと「乳がんです」と告げられました。その病院は乳腺外科の規模が小さく、ここで治療を受けるのは少し不安だと感じていたため、生検の結果が出る間に、乳がんと診断されたとき、治療を受けたいと思う病院を自分で探し始めました。インターネットで調べたのは、乳がんの「治療実績」、特に年間の手術数です。その中で、都内のがん専門病院の手術数が他の病院と比べて突出して多いことを知りました。これだけの実績があるのなら、さまざまな症例を経験しているはず。自分であれこれ悩むよりも、一番信頼できるところにお任せするのが最善だと思い、最初の病院で紹介状を書いてもらい、転院することに決めました。
ステージ2Bの確定診断と治療の始まり
がん専門病院では、最初の病院で行った検査に加え、PET検査やMRIなど、より詳しい検査を全て一からやり直しました。その結果、私の乳がんはステージ2Bで、リンパ節への転移もあり、がんはかなり広がっている状態だとわかりました。がんのサブタイプは、ホルモン受容体陽性、HER2陽性でした。
主治医から提示された治療方針は、まず抗がん剤でがんを小さくしてから手術を行う「術前化学療法」、その後に手術、放射線治療、そしてホルモン療法を続けるというものでした。がんが広範囲に及んでいることとがんがある場所が悪く、手術は乳房全摘出術が避けられないとのことでした。
画像を見れば素人の私でも温存手術は難しいだろうとわかりました。再建手術という選択肢もありましたが、何度も手術を重ねて痛い思いをするのは避けたかったので、再建は希望しませんでした。
抗がん剤治療のサイクルに合わせ仕事と治療を両立
治療方針が決まり、いよいよ抗がん剤治療が始まりました。フルタイムで働いていたため、派遣先の会社にはすぐに報告しました。幸いにも非常に理解のある職場で、「体調に合わせて、できる範囲で仕事をしてください」と言っていただき、本当にありがたかったです。
治療は、3週間に1度のペースで合計8クール、約半年間に及びました。自分の治療サイクルがわかってきたのは2回目からです。金曜日に抗がん剤の点滴を受けると、土日を挟んで翌週の1週間は副作用でほとんど動けなくなるのです。そのサイクルに合わせて、1週間まるまるお休みをいただくという形で仕事をしていました。
抗がん剤の副作用で最もつらかったのは、味覚障害です。幸い吐き気はなかったのですが、何を食べても味がしないどころか、まるで洗剤を口に入れたような、食べ物ではない味に感じられるのです。体が食べ物として認識しないため、飲み込むことすらできませんでした。
「何か食べなくては」という思いで、食べられるものを必死に探しました。他の患者さんのブログなどを参考にいくつか試してみましたが、やはりダメでした。試行錯誤の末、なぜか蕎麦だけは食べられることがわかり、治療中の食事はほとんど蕎麦を食べていた記憶があります。
また、乳がんの抗がん剤治療では、脱毛も避けられませんでした。髪の毛だけでなく、眉毛もまつ毛も全て抜け落ちましたが、あまり気に病むことはありませんでした。むしろ、白髪も生えてこないし、髪が伸びないので美容室に行く必要がなく楽だと感じたくらいです。仕事に行くときは、自然に見える少し高価なウィッグを選び、普段は帽子で過ごしていました。
「がん患者ではない自分」でいられた時間
今振り返ると、治療中も仕事を続けていて本当に良かったと思います。一番のメリットは、精神的な支えになったことです。会社に行き、同僚と他愛ない話をし、普通に仕事をしている間は、自分ががん患者であることを忘れられました。治療で休む日を除けば、そこにはがんになる前と変わらない日常がありました。もし完全に休職していたら、一日中がんのことばかり考えてしまい、気持ちが落ち込んでいたかもしれません。
また、働きながら治療を続けることで、職場復帰へのハードルがなかったこともメリットでした。周囲も私の状況を理解し、変わらずに接してくれました。そのため、自然と仕事に復帰することができました。
“病人扱いしない”家族の存在
約半年の術前化学療法はとても効果があり、がんはかなり小さくなりました。しかし、がんがあった位置の関係で、やはり全摘出手術が必要でした。年末年始を挟んで1か月強の休みをいただき、無事に手術を終え、職場に復帰しました。
術後は、女性ホルモンを抑えるホルモン療法が始まりました。ホットフラッシュなど、更年期障害のような症状が出ましたが、以前に経験があったので「ああ、これか」と冷静に対処することができました。
当時大学生だった息子には、病院から親族の同席を求められた時に初めて、がんであることを伝えました。息子は驚くほど冷静でした。その後も、私のことを特別扱いすることは一切ありませんでした。抗がん剤で私がつらい思いをしていても、「お腹すいたからご飯作って」と平気で言ってくるのです。
後になって、「どうしてあの時、お母さんの心配をしなかったの?」と聞いたら、「だってお母さんは死なないと思ってたから」とあっけらかんと言われました。その時は「たった一人の母親なのに!」と少し寂しくも思いましたが、今では、その息子の「病人扱いしない」態度が、私を甘えさせず、普通でいさせてくれたのだと感謝しています。
かけがえのない「がん友」との出会い
抗がん剤治療中、味覚障害のつらさを主治医に訴えても、「吐き気がないだけ良かったわね」と流されてしまうこともあり、誰にもこのつらさを本当に理解してもらえないという孤独を感じていました。
そんな私に、かけがえのない仲間ができたのは、手術がきっかけでした。手術前日、同じ日に手術を受ける患者が数人集められ、術後の注意点などの説明を受ける機会がありました。そこで一緒になった3人と意気投合し、連絡先を交換したのです。さらに、そのうちの一人が同室の人を誘ってくれて、いつの間にか6人のグループになっていました。
私たちは自分たちのことを「がん友」と呼び、LINEグループを作りました。手術日が同じという強い繋がりがあり、今でも定期的に連絡を取り合っています。治療のことはもちろん、逆に「今度バスツアーに行こうよ」と楽しい計画を立てたりと、内容はさまざまです。
同じ病気を経験し、同じ痛みを知っているからこそ、言葉にしなくても伝わることがあります。つらい時に気持ちを共有し、「一人じゃない、みんな頑張っているんだ」と思える仲間ができたことは、何よりの心の支えになりました。
今も、抗がん剤の後遺症で指先のしびれが残っていたり、体力が格段に落ちてしまったりと、以前の自分とは違う部分もあります。しかし、この経験を通して得たものも大きいと感じています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
がんの治療中、特に抗がん剤の副作用でつらい時、その苦しみを家族や友人に100%理解してもらうのは難しいかもしれません。私自身、手術で仲間に出会うまでは、その孤独が一番つらかったように思います。
もし今、あなたが同じように孤独を感じているのなら、ぜひ伝えたいことがあります。
• 同じ経験をした仲間を見つけてください。
患者会に参加するのも良いですし、私のように、病院で偶然出会うこともあります。
• つらい気持ちを一人で抱え込まないでください。
同じ痛みを知っている仲間となら、そのつらさを「共感」し、分かち合うことができます。
• 「一人じゃない」と思えることが、大きな力になります。
一緒に頑張れる仲間がいるというだけで、心がずっと楽になるはずです。
この体験談が、今まさにがんと向き合っている方や、そのご家族の心に少しでも寄り添うことができれば、幸いです。