写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:いしいさん(ニックネーム)
年代:50代
性別:男性
家族構成:一人暮らし
仕事:会社員(診断時)
がんの種類:肺がん
診断時ステージ:ステージ4
居住地:神奈川県
診断年:2013年
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2013年、42歳で肺がんステージ4の診断を受けたいしいさん。肺の原発巣に加え、副腎への遠隔転移が見つかり、根治は難しい状態からのスタートでした。手術、抗がん剤治療を経て、承認されたばかりの免疫チェックポイント阻害薬による治療を受けました。しかし、劇的な効果と同時に、1型糖尿病や歩行不能になるほどの関節炎など壮絶な副作用をもたらしました。度重なる困難に対し、いしいさんは決して受け身になることなく、自ら情報を集め、学び、最善の治療法を模索し続けました。IT業界で培った情報収集・整理能力を武器に、医師と話し合い、ときには自ら名医を探し出して福岡まで赴くなど、主体的に治療と向き合い続けた11年間の軌跡についてお話しいただきました。
会社の人間ドックで見つかった肺の影、そしてステージ4の告知
私が肺がんだとわかったのは、2013年1月、42歳の時でした。きっかけは、会社の定期健康診断、半日かけて行う人間ドックです。レントゲンの結果、医師から「確定はできないが、肺に影があるように見える」と告げられました。喫煙者だったこともあり、なんとなく嫌な予感がしました。咳や違和感といった自覚症状も少しあったので、はっきりしない結果に不安を覚え、私はその場で自ら追加のCT検査を願い出ました。
CTを撮ると、やはり影はよりはっきりと写っていました。人間ドックのクリニックでは確定診断はできず、すぐに大学病院への紹介状を渡されました。大学病院でMRIなどを含めた精密検査を重ねた結果、告げられた病名は「肺腺がん」。それだけではありませんでした。肺の原発巣とは別に、副腎にも転移が見つかったのです。
まず、肺にある腫瘍の摘出手術を受けました。人生で初めての手術です。麻酔から覚めた後の高熱や、24時間ベッドの上で安静にしていなければならない状態は、想像以上に過酷なものでした。これで肺からがんが広がるリスクは減りましたが、副腎の転移は残っています。ここからが、本当の闘いの始まりでした。
「余命2年」の衝撃とセカンドオピニオン
手術後、今後の治療方針について若い医師から説明を受けました。しかし、その内容は私にとって衝撃的なものでした。「手術で全てのがんを取り除くことはできません。今後は抗がん剤治療になります」と淡々と話した後、「余命は2年ほどです」と告げられたのです。あまりに突然のことで頭が真っ白になり、今後の治療方針など、詳しい説明は全く頭に入ってきませんでした。
このままではいけない。ただ不安を抱えたまま、言われるがまま治療を受けることなどできない。そう感じた私は、その場で「セカンドオピニオンを受けさせて欲しい」と申し出ました。がんセンターで医師の話を聞けば、何か違う道筋が見えるかもしれないと考えました。
しかし、がんセンターの医師の答えも、基本的には同じでした。「あなたの状況では、標準治療である化学療法を行うのが最善です。治療内容はどこで受けても同じなので、通いやすい元の大学病院で治療を続けるのが良いでしょう」。この言葉で、私は少し冷静さを取り戻しました。これが、今の私の置かれている現実なのだと。私は大学病院に戻り、主治医に謝罪し、改めて治療をお願いすることにしました。
抗がん剤治療と半年後の再発、そして希望の光
2013年の5月頃から、本格的な抗がん剤治療が始まりました。私の肺がんは遺伝子変異のないタイプで、使える分子標的薬はありません。最初に使ったのは、カルボプラチン、アバスチン、アリムタという3剤併用療法でした。この治療は効果があり、腫瘍マーカーの数値は下がり、副腎の転移巣も小さくなりました。副作用はきつかったですが、「これで治るんだ」と根拠もなく思い込んでいました。
しかし、その喜びは長くは続きませんでした。治療開始からわずか半年後、がんは再発。再び、どん底に突き落とされた気分でした。
そこからは、まさに「いたちごっこ」でした。ドセタキセル、タルセバ、TS-1など、効果が期待できるとされる抗がん剤を次々と試しました。しかし、どれも効果は短期間しか続かないか、あるいは全く効果がないまま、脱毛や骨髄抑制といった強い副作用に苦しめられるだけでした。週に1度、会社を半日休んで点滴に通う日々。2015年の秋頃には、使える従来型の抗がん剤はほとんどなくなってしまいました。「やはり、余命2年というのは本当だったのか」。終わりが見えないトンネルの中で、私は絶望的な気持ちでいました。
そんな八方ふさがりの状況で、一つの希望の光が差し込みます。当時、患者会に参加したり、自分で論文を調べたりする中で、「免疫チェックポイント阻害薬」という新しいタイプの薬が、劇的な効果を上げているという情報を掴んだのです。その薬の名前は「オプジーボ」です。
当時、オプジーボはまだ国内で承認されていませんでしたが、学会ではその話題で持ちきりで、承認は時間の問題だと確信しました。私はすぐに主治医に相談しました。すると、「治験に参加するか、あるいは承認されるまで半年ほど待つか」という選択肢を提示されました。治験に参加するためには、また組織を採取するための手術が必要です。手術のつらさを知っていた私は、半年待つことを選びました。
そして、ついにオプジーボの投与が始まりました。しかし、最初の2回は全く効果が見られず、がっかりしました。それでも、これが最後の頼みの綱です。「お願いします。もう一度だけ打ってください」と医師に懇願し、3回目の投与を受けました。すると、奇跡が起きたのです。1600近くまで上昇していた腫瘍マーカーが、一気に20まで下がりました。副腎のがんも縮小し、まさに劇的な効果でした。
生と死の淵をさまよった壮絶な副作用
オプジーボは私に希望を与えてくれましたが、同時に命を脅かすほどの強烈な副作用という代償ももたらしました。免疫ががん細胞だけでなく、自分自身の正常な細胞まで攻撃し始めたのです。
最初に現れたのは、1型糖尿病でした。免疫が膵臓のインスリンを作る細胞を破壊してしまい、私は体内でインスリンを作れなくなりました。以来、毎日数回のインスリン自己注射が生涯欠かせなくなりました。
次に起こった副作用は、重度の関節炎です。免疫が関節を攻撃し、膝が固まって動かなくなり、歩くことすら困難になりました。杖をついてなんとか出勤していましたが症状は悪化。ついには歩行不能になり緊急入院し、ステロイドを大量に投与する「ステロイドパルス療法」で、なんとか炎症を抑えました。
そして、最も過酷だったのが、脾臓の異常です。脾臓の血管が詰まり、その血流を補うために胃の静脈がこぶのように大きく膨らんでしまいました。これが破裂すれば大出血につながる、非常に危険な状態でした。脾臓のカテーテルで著名な医師を探し、血管を詰める手術を2度試みましたが失敗。「開腹手術は難易度が高く、成功の保証はない」と、関東でも指折りの専門医からさじを投げられてしまいました。
しかし、私は諦めませんでした。IT系の仕事で培った情報収集能力を駆使し、インターネットでひたすら論文を検索しました。そして、脾臓のロボット手術で日本一の実績を持つ医師が、九州の大学病院にいることを突き止めたのです。私は自ら連絡を取り、診断書を準備して、横浜から福岡へ飛びました。こうして、九州で手術を受ける道筋をつけたのです。
ところが、その手術を待っていた矢先のことでした。カテーテル治療を終えて退院した翌日、自宅で静脈瘤が破裂し、大量に出血したのです。一人暮らしの中、意識は朦朧とし、血の気が引いていくのがわかりました。「救急車を待っていたら間に合わない」。私は最後の力を振り絞り家を出ました。最寄りの駅までわずか5分の道のりでしたが、途中で膝から崩れ落ちそうになりながら、なんとか駅員さんの元へたどり着き、「救急車を呼んでください。前日まで入院していた病院があるので、そこへ運んでください」と告げました。
搬送先の病院では、私のカルテを把握していた医師たちが待ち構えており、すぐに緊急手術が始まりました。後から聞いた話では、手術中に一度、心停止したそうです。まさに、九死に一生を得ました。
2021年の夏、私は予定通り九州の大学病院で8時間に及ぶ大手術を受け、無事に脾臓を摘出することができました。開腹すれば30cmは切る必要があった傷も、ロボット手術のおかげで比較的小さな傷だけで済みました。
仕事との両立、そして退職
診断当初から、一人暮らしの私にとって「働きながら治療を続ける」ことは絶対条件でした。会社には病気のことをオープンに話しており、上司や産業医、同僚たちの理解とサポートに恵まれ、治療と仕事の両立を続けることができました。
しかし、度重なる治療と入院、そして深刻な副作用は、確実に私の体を蝕んでいきました。特に糖尿病の影響で、細かい作業などがつらくなってきたのです。これ以上、安定して働き続けることは難しいと判断し、1年半の休職を経て、2025年6月、定年を少し前にして長年勤めた会社を退職しました。
現在は、腫瘍マーカーが再び少しずつ上昇しており、予断を許さない状況です。しかし、主治医とは密に連携し、「画像でがんが確認できるようになったら、再びオプジーボの治療を始めよう」という次の一手を決めています。
がんと診断されても、決して一人で抱え込まないでください。信頼できる情報源を探し、学び、医師と対等なパートナーとして、一緒に治療方針を考えていく。それが、納得のいく治療を受け、希望を持ってがんと向き合っていくために、最も大切なことだと私は信じています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
11年以上にわたる私の経験から、今がんと闘っている方に伝えたいことがあります。
• 情報は力です。まずは正しい知識を得てください。
診断直後は誰でも不安で、医師の言葉に一喜一憂してしまいます。しかし、言われるがままではなく、まずは自分の病気について正しく知ることが、不安を乗り越える第一歩です。私が最も信頼しているのは、国立がん研究センターが運営する「がん情報サービス」というウェブサイトです。ここに書かれている「標準治療」が、現在の医学で最も効果が証明されている治療法です。ここを入り口に、自分の治療の全体像(ロードマップ)を理解することをおすすめします。
• 情報の質を見極める目を持ってください。
世の中には、「〇〇でがんが治った」といった噂話から、科学的根拠の乏しい自由診療まで、さまざまな情報が溢れています。しかし、最も信頼できるのは、多くの患者さんの協力のもとに行われる「臨床試験(治験)」によって、有効性と安全性がきちんと証明された治療法です。甘い言葉で誘う怪しげな情報に惑わされないでください。
• 「知ってから怖がる」ことが大切です。
わからないまま漠然とした不安を抱え続けるのは、精神的にも良くありません。正しい知識を身につければ、今自分がどの位置にいて、次に何をすべきかが見えてきます。それは、治療という長い道のりを歩む上で、大きな心の支えになるはずです。