写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:じゃよんさん(ニックネーム)
年代:50代
性別:女性
家族構成:夫と二人暮らし
仕事:無職
がんの種類:中腎様がん
診断時ステージ:ステージ1C
居住地:東京都
診断年:2022年
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2022年、婦人科系の希少がんである「中腎様がん」と診断されたじゃよんさん。手術で根治したはずが、わずか1か月後に肝臓への遠隔転移が発覚し、「根治は望めない」と告げられました。さらに、同じ時期にご主人も食道がんであることが判明。夫婦ともにがん患者となる過酷な状況の中、じゃよんさんは医師から提示された治療法に限定されず、自ら情報を集めてセカンドオピニオンを活用し、諦めずに希望の道を探し続けました。その体験についてお話しいただきました。
がん発見のきっかけは腹部のしこり
もともと子宮筋腫があり、経過観察をしていました。しかし、コロナ禍ということもあり、2021年の子宮がん検診をスキップしてしまったのです。2022年4月末ごろ、就寝中にふと自分の左下腹部に拳くらいの硬いものがあることに気づきました。「筋腫が大きくなったのかな」と軽く考えていたのですが、通っていたエステサロンの担当者からも「ここしこり、大きくなっていませんか」と指摘され、病院へ行くことを決意しました。
1年空いてしまった子宮がん検診と、筋腫の経過観察を兼ねて婦人科クリニックを受診すると、「卵巣が腫れています。すぐに大きい病院で診てもらってください」と言われました。
診断、そして2か月の待機期間
紹介された総合病院でMRI検査を受けたところ、「うちには腫瘍の専門医がいないので」と、さらにがんセンターを紹介されました。2022年7月末にがんセンターを受診し、CT検査などを受けましたが、その時点ではまだ「卵巣がん疑い」という診断で、手術をしなければ確定診断はできないとのことでした。しかし、コロナ禍の影響もあり「手術は2か月後になります」と言われました。
その待機期間中、日に日に腫瘍が大きくなっていくのがわかり、お腹がぽこっと膨らんできたのです。不安になり、検査の際に担当医に「腫瘍が大きくなっていますが大丈夫でしょうか」と尋ねましたが、「大丈夫だから」と言われるだけでした。治療は何もなく、ただ検査をしながら手術の日を待つしかありませんでした。
さらに、この待機期間中に夫が新型コロナウイルスに感染し、私も濃厚接触者となりました。幸い手術が延期になることはありませんでしたが、この時期に、夫もまたがんの疑いを告げられることになったのです。
手術成功のはずが、1か月後に肝転移の発覚
2022年9月12日に手術を受け、10月の病理検査結果で、がんは確定しました。告げられた病名は「中腎様がん」。子宮や卵巣にできるがんの中でも非常に珍しいタイプの希少がんで、がんセンターでは2例目だと言われました。ステージは1C。ただ、手術中に腫瘍が破綻(術中破綻)してしまったため、腹腔内にがん細胞が散らばっている可能性があるとのことでした。「念のため、再発予防の抗がん剤治療をしましょう」と提案され、それを受け入れることにしました。
抗がん剤治療の開始日は11月4日に決まり、その直前の10月30日にCT検査を受けました。そして治療当日、腫瘍内科の医師から告げられた言葉は、あまりにも衝撃的なものでした。
「肝臓に転移していました。したがって、これから行う抗がん剤治療は、根治を目指すものではなく、延命のための治療になります」
わずか1週間前まで、私はステージ1Cで、これから再発予防のために頑張ろうと思っていたのです。それが一瞬にして、根治は望めないステージ4のがん患者になってしまいました。診察後、看護師さんから「すぐに介護保険の申請をしておいてください」と事務的に言われ、頭が真っ白になりました。
夫婦でがん患者に、絶望の中での支え合い
私が手術のために入院している間に、夫は食道がんの確定診断を受けていました。「ただの潰瘍であって欲しい」という私の祈りは届かず、夫婦そろってがん患者になってしまったのです。
二人暮らしで、身近にがんを経験した人もいなかったため、これからどうすればいいのか、全くわかりませんでした。まず頭に浮かんだのはお金のことです。治療には莫大なお金がかかるだろうと思い、住んでいるマンションを売却することも考えました。
私の抗がん剤治療と、夫の術前抗がん剤治療がほぼ同時期に始まりました。副作用のつらさはもちろんですが、精神的な不安が何よりも大きかったです。「このまま二人とも死んでしまうのだろうか」と思うと、涙が止まらず、毎日泣いて過ごしました。
しかし、ある時ふと思ったのです。「転移がわかったからといって、今日明日死ぬわけではない。治療を受けている間は生きられるはずだ」と。それに、私の母も肺がんで余命宣告を受けており、「親より先に死ぬわけにはいかない」という強い気持ちが湧いてきました。
そこからは、夫と二人で励まし合う日々でした。抗がん剤の副作用のつらさは、経験した者同士だからこそ深く理解できます。「気持ち悪いよね」「でも頑張ろうね」と声を掛け合い、お互いの感情を正直にぶつけ合いながら、この苦しみを二人で乗り越えようと決めました。
「治療法はない」と言われても諦めない
がんセンターの婦人科の医師からは、「遠隔転移したら、抗がん剤治療しか選択肢はありません。がんは全身に回っているので、切除や放射線治療はできません」とはっきり言われていました。その言葉を聞いた当初は、「もうどうしようもないんだ」と絶望するしかありませんでした。
しかし、抗がん剤治療を進める中で、さまざまな情報を集めるうちに、本当に他の治療法はないのだろうかと疑問に思うようになりました。インターネットで調べると、肝臓への転移に対して「ラジオ波焼灼術」という治療法があることを知りました。また、別のがん専門病院のホームページには、「婦人科がんの肝転移でも、切除可能な場合は積極的に切除します」と書かれていたのです。
「がんセンターではできないと言われたけれど、他の病院なら可能性があるかもしれない」
そう考えた私は、腫瘍内科の担当医に相談し、セカンドオピニオンを受けるため、ラジオ波焼灼術で有名な大学病院と切除の可能性を探るためのがん専門病院の2つの紹介状を書いてもらうことにしました。
セカンドオピニオンの結果、がん専門病院ではやはり切除は難しいとの判断でしたが、大学病院の消化器内科では、ラジオ波焼灼術について前向きな回答をいただけたのです。「多発しているので一気には焼けないが、もぐら叩きのように一つずつ治療していくことで、延命の可能性はある」と言われ、私は大学病院に望みを託すことに決めました。
今後の抗がん剤治療のことも考え、全ての治療を一つの病院で完結させた方がスムーズだと考え、大学病院の婦人科にも紹介状を書いてもらい、私はがんセンターから大学病院へ転院しました。
現在の治療とこれから
現在は、大学病院で定期的にラジオ波焼灼術を受けながら、婦人科で経過観察をしています。その他にもできる治療なども取り入れ、体力や筋力を落とさないように運動も続けています。
肝臓のがんはまだ残っていますが、幸いにも落ち着いた状態を保てています。大学病院の医師からは「根治はない」とはっきり言われてはいませんが、私自身、完治が難しいことは理解しています。今の私の目標は、「両家の親を見送るまでは、元気に生きること」。その日を迎えられるように、今の状態を一日でも長くキープしていきたいと思っています。
希少がんということで、同じ病気の仲間を見つけるのは難しい状況です。しかし、私には同じがん患者として共に戦う夫がいます。彼の存在は、何よりも心強い支えです。私たち夫婦は、医師の言葉を鵜呑みにせず、自分たちで調べて行動したことで、新たな治療の選択肢を見つけることができました。この経験は、大きな自信につながっています。
がんという病気は本当につらいですが、諦めずに探し続ければ、きっとどこかに希望の光は見つかると信じています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今、がんと向き合っている方や、これから治療を始める方にお伝えしたいことがあります。
• 医師の言葉が全てだと思わないでください。
もちろん、主治医を信頼することは大切です。しかし、「治療法はこれしかない」と言われても、すぐに諦めないで欲しいのです。
• セカンドオピニオンを積極的に活用してください。
患者には、他の医師の意見を聞く権利があります。できれば2か所以上、話を聞きに行くことをお勧めします。病院や医師によって、治療方針が異なることは十分にあり得ます。
• 自分で情報を集め、納得できる治療法を探してください。
今はインターネットなどでさまざまな情報を得ることができます。自分の命がかかっているのですから、人任せにせず、自ら学び、行動することが大切だと思います。