写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:たつまんさん(ニックネーム)
年代:40代
性別:男性
家族構成:パートナーと二人暮らし
仕事:会社員
がんの種類:急性リンパ性白血病(フィラデルフィア染色体陽性)
居住地:東京都
診断年:2020年
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2020年10月たつまんさんは、会社の健康診断をきっかけに「急性リンパ性白血病」という突然の告知を受けました。しかも、フィラデルフィア染色体陽性という、当時は予後があまり良くないとされるタイプでした。即日入院、抗がん剤治療、そして弟をドナーとする同種造血幹細胞移植という目まぐるしい日々。約1年間の休職を経て、現在は元気に職場復帰を果たしています。まさかの診断から治療、そして社会復帰までの道のりをお話しいただきました。
「まさか自分が」健康診断の採血から始まった闘病
全ては、会社の健康診断から始まりました。2020年10月26日のことです。午前中に受けた健康診断の採血で、白血球の数が異常に多いことを指摘されました。その日のうちに「すぐに大きな病院で診てもらってください」と紹介状を渡され、午後に自宅近くの総合病院へ向かいました。
自覚症状は、今思えばという程度のものでした。少しだるさがあったり、光が妙にまぶしく感じたり、立ちくらみがしたり。しかし、日常生活に支障をきたすほどではなく、まさか自分が重い病気だとは夢にも思っていませんでした。病院の先生からは「よくこの状態まで我慢できましたね」と言われるほど、病状は進行していたようです。
総合病院での血液検査、そして骨髄の液体を採取する骨髄穿刺の結果、医師から告げられたのは「白血病です」という言葉でした。あまりに白血球の数値が異常だったため、その日のうちに入院が決まりました。あまりに急な展開で、気持ちの整理もつきません。とにかく、まずは一緒に暮らすパートナーに電話で状況を報告し、それから会社の上司に連絡を入れました。治療が長くなる見込みであること、しばらく出社できないことを伝え、休職の手続きを取ってもらいました。当時はコロナ禍ではありましたが、私の会社ではまだ在宅勤務が導入されておらず、突然出社できなくなったことで、職場には大きな迷惑をかけてしまいました。
同種造血幹細胞移植のドナーとして弟が完全一致
入院してすぐ、まずは異常に増えた白血球を減らすため、ステロイド剤であるプレドニンによる治療が始まりました。そして入院から数日後、骨髄検査の詳細な結果が出ました。私の病名は「急性リンパ性白血病」、さらに「フィラデルフィア染色体陽性」というタイプであることがわかったのです。
医師からは、このタイプはあまり予後が良くないこと、そして完治を目指すためには「造血幹細胞移植」が有効な治療法であることを説明されました。セカンドオピニオンを求めたり、他の治療法を考えたりする時間的な余裕も、精神的な余裕もありませんでした。ただ、医師の言うことに従い、治療を進めていくしかない。そんな心境でした。
幸いだったのは、私には弟がいたことです。造血幹細胞移植には、ドナーと患者の白血球の型(HLA型)が一致する必要があります。兄弟間の場合、その型が完全に一致する確率は4分の1と言われています。検査の結果、弟と私のHLA型は幸運にも完全に一致しました。弟が快くドナーになることを引き受けてくれたおかげで、私は移植という最大の希望を手にすることができたのです。弟がいてくれて本当に良かったと、心から思いました。
コロナ禍の入院生活と、社会とのつながり
入院生活は、約6か月に及びました。移植後も体力が回復するまで時間が必要で、さらに半年間の自宅療養を経て、職場に復帰したのは診断から約1年後のことでした。
入院中は、コロナ禍の真っただ中で面会は一切禁止。社会とのつながりは、スマートフォンを通じたLINEや電話だけでしたし、ネットで動画を見ることが、唯一の気晴らしでした。もし病院にWi-Fi環境がなかったら、暇すぎて耐えられなかったと思います。
月に1度、数日間だけ一時退院が許可されたときは、気分転換を図り何とか長い入院生活を乗り切っていました。
パートナーとは直接会うことはできませんでしたが、洗濯物や生活必需品などを、看護師さんを介して受け渡しする際に、5メートルから10メートルほど離れた場所から顔を見ることができました。ほんのわずかな時間でしたが、顔を見て話せることは、大きな心の支えになりました。
入院中は自分の病気について、インターネットでたくさん調べました。しかし、「急性リンパ性白血病 フィラデルフィア染色体陽性」と検索すると、どうしても希望の持てない情報ばかりが目につきます。医師からも「国立がん研究センターのウェブサイトの情報は信頼できるけれど、それ以外はあまり参考にしない方がいい」とアドバイスされていました。それでもやはり検索しては落ち込むことの繰り返しで、途中からは意識的に検索するのをやめました。自分にとって都合の悪い情報は見ても心に残さないように、情報を取捨選択する術を身につけていったように思います。
治療を支えてくれた多くの存在
抗がん剤治療中は、白血球だけでなく、赤血球や血小板も減少します。そのため、治療中は頻繁に輸血を受けました。それまで輸血といえば手術の時にするものだと思っていましたが、抗がん剤治療においても、いかに献血による血液が必要不可欠であるかを身をもって知りました。顔も名前も知らない誰かの善意に、自分の命が支えられていることを実感し、献血してくださる方々への感謝の気持ちでいっぱいになりました。
移植後の副作用として心配されるGVHD(移植片対宿主病)は、幸いにも私の場合、皮膚のかゆみや関節の痛み、手足のしびれといった軽い症状で済みました。重篤な副作用が出なかったことも、順調な回復につながったと思います。
診断から職場復帰まで約1年間。この長い闘病生活を乗り越えられたのは、間違いなく周りの人々の支えがあったからです。ドナーになってくれた弟、会えない中でもサポートし続けてくれたパートナー、そして私の復帰を温かく迎え入れてくれた会社の上司や同僚。医師や看護師の方々も、私が病気のショックをあまり感じずに済むほど、親身に接してくれました。多くの人に助けられ、迷惑をかけながら、今の自分があるのだと痛感しています。
職場に復帰して、少し変わったことがあります。長期間寝たきりに近い生活を送っていたため、すっかり筋肉が落ちてしまったのです。以前は友人から「筋肉質だね」と言われることが多かったのですが、今では「痩せたね」と言われるようになりました。外見は変わりましたが、以前と変わらず元気に仕事ができていることに、日々感謝しています。
この1年間の経験は、失われた時間ではなく、私の人生にとって貴重な学びの時間だったと思っています。つらい体験でも、誰かの役に立つ貴重な情報です。私自身、入院中は他の方のブログや体験談に励まされました。あなたの経験が、きっとどこかで同じように苦しんでいる人の希望の光になるはずです。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
白血病との闘病を通して感じたことを、今まさにがんと闘っている方々にお伝えしたいと思います。
周囲への感謝を忘れないでください。
闘病は一人ではできません。家族、友人、同僚、医療従事者など、多くの人があなたを支えてくれています。その感謝の気持ちが、きっとつらい治療を乗り越える力になります。
情報の波にのまれないでください。
インターネットには、不安をあおる情報も少なくありません。信頼できる情報源を見極め、ネガティブな情報に振り回されない冷静さを持つことが大切です。
医療の進歩を信じてください。
私が罹患したフィラデルフィア染色体陽性の白血病も、かつては治療が非常に難しい病気でした。しかし、医療の進歩によって、今では私のように元気に社会復帰できる人が増えています。希望を捨てずに、今の医療を信じて治療に臨んでください。