写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:上野 健一郎さん(本名)
年代:50代
性別:男性
家族構成:一人暮らし
仕事:経営コンサルタント
がんの種類:肝臓がん
診断時ステージ:ステージ4A(自己判断)
居住地:福岡県
診断年:2023年
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
経営コンサルタントとして働いていた上野健一郎さんは、2023年に肝臓がんと診断されました。当初は手術が可能とされていましたが、術前検査で状況が思った以上に深刻であることが判明し、手術不可を宣告されます。厳しい状況の中、IT専門家としての知見を活かした情報収集と冷静な判断で治療に臨みました。診断の経緯から治療の選択、そして情報との向き合い方についてお話しいただきました。
突然のがん告知、きっかけは糖尿病の定期検査
私が肝臓がんだとわかったのは、2023年のことでした。もともと糖尿病を患っており、2か月に1回、自宅から歩いて行ける総合病院で定期的に検査を受けていました。しかし、なかなか血糖値が下がらず、ある時の血液検査で肝機能の数値、特にGPT(ALT)が700という異常な値を示したのです。
「これはおかしいのではないか」ということで、同じ病院の内科で精密検査を受けることになりました。血液検査での腫瘍マーカー、超音波検査、そしてCT検査。これらの結果を総合して、医師から告げられた病名は「肝臓がん」でした。
手術可能から一転、「手術はできない」という宣告
最初の内科の先生からは、「おそらく手術適応だろう」と言われていました。がんを外科的に取り除けるかもしれない、という言葉に、少しだけ安堵したのを覚えています。仕事は独立開業しながら複数の会社の役員も務めていましたが、上司にだけ病名を伝え休暇を取得しました。
しかし、入院してさらに詳しい精密検査を受けると、状況は一変しました。外科の先生から告げられたのは、「思ったよりもがんが大きい。そして肝臓の予備能力も低く、門脈にも浸潤しているので、残念ながら手術はできません」という言葉でした。そのため治療方針は、薬物療法に切り替えることになりました。
肝臓がんの根治は手術しかない、と自分なりに調べて理解していただけに、この「手術不可」の宣告が、がんの告知そのものよりもはるかに大きなショックでした。「これは相当やばいんだな」。そう直感しました。
藁にもすがる思いで、先生に「こういう症状だと、あとどのくらい生きられるんですか」と尋ねました。しかし、先生は「人はいつか死ぬものですから」と、明確な答えをくれませんでした。
余命やステージなど、自分が知りたいことを明確に教えてくれませんでしたが、先生方への不信感はありませんでした。病状については、画像の読影をしながら丁寧に説明してくれましたし、その時点での精密な検査結果をきちんと伝えてくれていました。ショックだったのは、自分の状態が段階的に悪くなっていくという事実を、冷静に、しかし確実に突きつけられていくことそのものでした。
見えない余命、絶望の中で始めた情報収集
医師から直接ステージを伝えられることはありませんでしたが、がんの状態については詳しく教えてもらいました。肝臓の中に一番大きいもので長径6cmのがんがあり、その他にも1~2cmのものが2か所、さらに門脈という重要な血管にまでがんが浸潤しているという内容でした。
私はITの専門家という仕事柄、情報を調べ、整理することには慣れています。入院中、公開されている肝臓がんのステージ判断基準と自分の状態を照らし合わせ、自分は「ステージ4A」に相当すると判断しました。
先が見えない状況で、自分にできることは何か。それは、とにかく正確な情報を集め、自分の置かれた状況を客観的に理解することでした。入院中の時間を使い、インターネットで集中的に情報収集を始めました。信頼できるがん情報サイトはもちろん、肝臓がんの最新の治療事例、予後に関する統計データ、そして専門家向けの学会論文や診療ガイドラインまで取り寄せ、読み込みました。
医師が余命を明言できない理由も、学習する中で理解できました。個人差が大きく、科学的に断定できないことは言えないのだろうと。それならば、感傷的になるのではなく、今残されている治療選択肢の中で、科学的に最も効果が期待できるものは何かを考えることだけに集中しようと決めました。
薬物療法の効果で腫瘍マーカーも正常範囲内に
最終的に私の治療方針として決まったのは、分子標的薬の「アバスチン」と、免疫チェックポイント阻害薬の「テセントリク」を併用する薬物療法でした。
この治療が効果を発揮したのです。 治療を始める前、私の腫瘍マーカーはAFPが2700、PIVKA-IIが6900と、どちらも基準値をはるかに超える高い数値でした。それが、3週間に1回の投薬を開始して2回か3回、期間にして1か月半ほど経った頃には、どちらの数値も正常値に近い2桁台まで下がりました。そして、そのさらに1か月後には、完全に正常範囲内に収まったのです。
画像検査でも、その効果は明らかでした。6cmあった一番大きいがんは2cmほどにまで縮小し、懸念されていた門脈への浸潤も、治療開始から3か月後の検査では画像上見えなくなっていました。そして現在では、画像上どこにがんがあったのかわからない、という状態になっています。
ただ、薬の効果が及びにくかった小さな腫瘍が2か所残っていました。これらについては、体の外からCTで位置を確認しながら長い針を刺し、直接エタノールを注入してがん細胞を死滅させるという治療を受けました。
がん治療よりも大変だった合併症との闘い
幸いなことに、アバスチンとテセントリクによる副作用は、私が自覚するものは全くありませんでした。懸念していた間質性肺炎や自己免疫疾患の兆候もなく、血液検査の数値も安定していました。
がんの治療そのものは、驚くほど順調でした。しかし、治療の途中で予期せぬ事態に見舞われます。「化膿性胸椎炎」という、背骨が細菌に感染して膿んでしまう病気を発症し、下半身麻痺になってしまったのです。
この治療とリハビリのため、私は7か月もの間、別の病院に入院することになり、その間がんの治療は中断せざるを得ませんでした。中断している間に一度、腫瘍マーカーの数値が少しだけ上昇しましたが、元の病院に一時的に戻って投薬をすると、すぐに数値は落ち着きました。「やはり薬は効いている」と再確認できた出来事でした。
この7か月の中断期間があったため、当初1年間で終了する予定だった薬物療法は、中断した期間を補う形で、2025年の12月まで継続することになっています。
がんと向き合うことは、情報との闘いでもあります。確かな情報に基づいた冷静な判断が、ご自身にとって最善の道を開く一助となることを願っています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
IT専門家として、私が治療の過程で最も意識したのは、情報の見極め方です。今はインターネットでさまざまな情報が手に入りますが、その中には不確かなものも少なくありません。私が情報収集をする上で心掛けたことを、メッセージとしてお伝えします。
まずは「標準治療」を信じましょう。
自由診療や「最先端」といった言葉に惑わされず、まずは科学的根拠に基づき、多くの患者さんで効果と安全性が確認されている保険が適用される「標準治療」を軸に考えることが大切です。
公的な機関で情報を探しましょう。
国立がん研究センターのがん情報サービスのウェブサイトや、各がん種の学会が作成している「診療ガイドライン」は、多くの専門家が客観的なデータを基にまとめた非常に信頼性の高い情報源です。まずはこれらを熟読し、ご自身の病気や治療法について正しく理解することをお勧めします。
数字やデータを正しく理解してください。
生存率などの統計データは、治療法や患者さんの状態によって大きく変わります。特に、私の治療で使われた免疫チェックポイント阻害薬のような新しい薬が登場する前の古いデータは、現在の状況とは合わない場合があります。数字だけを見て一喜一憂せず、それが「どのような条件下のデータなのか」を見極める冷静な視点が必要です。
一人の医師や一つの情報源に頼りすぎないでください。
多くの専門家が支持している情報や、複数の信頼できる情報源で共通して言われていることを重視すると、情報の確からしさを見極めやすくなります。YouTubeなどでも、診療ガイドラインの作成に関わっているような著名な先生方の発言は参考になりました。
選択肢は冷静に見極めてください。
私の場合は手術も放射線治療も難しく、薬物療法しか選択肢がありませんでした。もし複数の選択肢で迷う状況であれば、それぞれの治療法のメリット・デメリットを、客観的なデータ(エビデンス)に基づいて比較検討することが、納得のいく選択につながると思います。