写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:あーちゃんさん(ニックネーム)
年代:50代
性別:女性
家族構成:夫と息子二人の四人暮らし
仕事:専業主婦(診断時は障害福祉施設の臨時職員)
がんの種類:乳がん、腎細胞がん(重複がん)
診断時ステージ:乳がん ステージ2B、腎細胞がん ステージ1
居住地:静岡県
診断年:2021年
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2021年、乳がんの告知を受け、治療に専念するため長年勤めた職場を退職したあーちゃんさん。術前化学療法後の手術で入院中に、追い打ちをかけるように腎細胞がんが発見されました。「重複がん」という稀な状況、抗がん剤の重い副作用、そして治療方針をめぐる大きな決断。目まぐるしく、そして困難な状況の中、いかにしてがんと向き合い、乗り越えてきたのか。その道のりについてお話しいただきました。
始まりは突然に。コロナ禍で見つけた胸のしこり
始まりは、2021年のことでした。いつものように、お風呂で体を洗っている時、胸に硬いしこりのようなものがあることに気づきました。それまで1年ごとにマンモグラフィー検査と超音波検査を交互に受けていたのですが、コロナ禍が始まった2020年は、つい検診を1年スキップしてしまっていたのです。胸騒ぎを覚え、すぐに近所の乳腺外科クリニックを受診しました。
クリニックではマンモグラフィー、超音波検査、そして細胞診を行い、乳がん(ホルモン陽性HER2陽性タイプ)のステージ1と診断されました。そして2021年6月、治療のためにと紹介された市立病院でさまざまな検査を受けました。
最初のクリニックでは「ステージ1で、リンパ節への転移もないでしょう」と言われていたので、初期のがんなら大丈夫だろうと、どこか気持ちに余裕がありました。しかし、市立病院で造影剤を使ったCTなどの精密検査をすると、状況は一変します。しこりの大きさは当初2cmと聞いていましたが、実際には3.8cmあり、さらにリンパ節に4つの転移が見つかったのです。ステージは「2B」へと上がり、それに伴って治療方針も大きく変わりました。まずは手術の前に抗がん剤でがんを小さくしてから、部分切除手術を目指す「術前化学療法」を行うことになったのです。
がんの告知を受けた時、両親をがんで亡くしていることもあり、「いつかは自分も」という覚悟は漠然とありました。そのため、診断自体には、そこまで大きなショックはありませんでした。
治療への専念と、副作用との闘い
治療に専念するため、私は大きな決断をしました。当時、障害福祉施設で臨時職員として働いていたのですが、退職することにしたのです。私が担当していたのは、利用者の方と一緒に作業をする仕事でした。抗がん剤治療が始まれば、これまで通りに働くことは難しいですし、何より利用者の方々に迷惑はかけられません。夫も「今は治療に専念した方がいい」と背中を押してくれたので、思い切って仕事から離れることにしました。
こうして始まった術前化学療法は、まずEC療法を4クール、その後、ドセタキセル、ハーセプチン、パージェタという3種類の薬を4クール行う計画でした。副作用は想像以上に過酷なものでした。髪の毛が抜けることは覚悟していましたが、体が思うように動かないだるさが、特に暑い夏の時期には本当にしんどかったです。
家事もままならず、協力的な夫が休みの日に買い物などを率先してやってくれましたが、平日はそうもいきません。当時はまだ高校生だった次男のお弁当作りも、涙を流しながらやっとの思いでこなす日もありました。体力的にも精神的にも追い詰められ、申し訳ないと思いつつも、夫に当たり散らしてしまうこともありました。
さらに、私を予期せぬ事態が襲います。ハーセプチンの点滴中に、アナフィラキシーショックを起こしてしまったのです。上からも下からも、体中の水分が出ていくような状態で、その日の治療は中止せざるを得ませんでした。副作用のつらさに加え、計画通りに進まない治療に、焦りと不安が募っていきました。
追い打ちをかけた「腎がん」の告知と、主治医の言葉
アナフィラキシーショックという壁はありましたが、術前化学療法を終え、2021年11月に無事、乳がんの部分切除手術を受けました。ほっとしたのも束の間、手術を終えて入院している最中に、私は主治医から思いもよらない言葉を告げられます。
「術前の検査で、腎臓に腫瘍のようなものが見つかったので、一度泌尿器科で診てもらってください」
言われるがままに院内の泌尿器科を受診すると、告げられたのは「腎細胞がん、ステージ1です」という、二つ目のがんの告知でした。
乳がんの治療を一生懸命頑張ってきたのに、なぜ。もう、どうしていいかわからない。子どもたちに「お母さん、またがんになった」なんて、とても言えない。そんな気持ちでいる私のもとに、乳腺外科の主治医が診察時間を終えてから、わざわざ病室を訪ねてくれました。そして、私の顔を見るなり、こう言ったのです。
「悔しいね。一生懸命ここまで治療を頑張ってきたのに、腎臓にがんが見つかるなんて、本当に悔しい」
先生は、まるで自分のことのように、一緒に悔しがってくれました。その瞬間、私の心に張り詰めていた糸が、ぷつりと切れました。この先生は、ちゃんと私のことを見て、私の気持ちをわかってくれている。そう思うと、自然と涙があふれてきました。この先生が大丈夫だと言うなら、きっと大丈夫。この先生を信じて、もう一度頑張ろう。その一言が、私を再び前向きにさせてくれたのです。
腎臓を残したい。諦めなかった部分切除への道
幸い、腎細胞がんは手術で取り切れるステージ1でした。しかし、新たな問題が持ち上がります。私の腫瘍は2.7cmと小さいものの、血管のすぐ近くという難しい場所にありました。そのため、市立病院の泌尿器科では「腎臓の全摘出手術が望ましい」と言われたのです。
今後のことを考えると、どうしても腎臓は残したいという強い思いが私にはありました。私の乳がんは再発のリスクが決して低くないタイプで、もし再発すれば、また抗がん剤治療が必要になる可能性が高い。抗がん剤の多くは腎臓にも負担がかかります。その腎臓が一つになってしまうと、将来使える薬の選択肢が狭まったり、体に大きな負担がかかったりするのではないか。乳がんの主治医に相談すると、「残せるのであれば、その方がいいだろう」と同じ意見でした。
私は腎臓を温存できる方法を探し始めました。まず、紹介状を持ってがん専門病院に相談に行きましたが、そこでもやはり答えは「全摘」でした。しかし、あきらめず別の大きな総合病院を受診することにしました。
そこの先生は、「血管に食い込んでいたら全摘になる可能性もあるけれど、部分切除で挑戦してみましょう」と言ってくださったのです。最後の望みを託し、私は2022年4月に手術に臨みました。そして手術は無事に成功。自分の選択は、そして諦めずに行動したことは、間違いではなかった。つらい治療が続く中で、初めて「頑張ってきて報われた」と思えた瞬間でした。
腎臓の手術のため、乳がんの治療は一時中断しましたが、退院したあとすぐに再開しました。しかし、私の闘いはまだ終わりませんでした。術後補助療法として行っていたカドサイラという薬の9クール目に、今度は副作用で薬剤性の間質性肺炎になってしまったのです。これにより、カドサイラだけでなく、ハーセプチンやパージェタといったHER2陽性タイプに有効な分子標的薬は一切使えなくなってしまいました。
現在は、ホルモン療法薬であるタモキシフェンを服用しながら、経過観察を続けています。乳がん、そして腎がん。目まぐるしく状況が変わり、何度も大きな決断を迫られました。がんの告知は、誰にとってもつらく、孤独なものです。しかし、あなたは一人ではありません。どうか周りを頼り、自分を信じて、一歩ずつ前に進んでいってほしいと願っています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
乳がんと腎細胞がんという重複がんの闘病経験から、今、がんと向き合っている方にお伝えしたいことがあります。
一人で決めないでください。
治療方針など、重要な決断を迫られた時、決して一人で抱え込まないでください。私はどんな時も夫に相談し、二人で考えてきました。家族や信頼できる人に話すだけで、気持ちが楽になり、冷静な判断ができるようになります。
信頼できる情報を自分で調べることも大切です。
私は「乳がん診療ガイドライン」の本を購入し、標準治療について勉強しました。インターネットには不確かな情報も多いですが、ガイドラインのような信頼できる情報源にあたることで、医師の説明をより深く理解でき、納得して治療に臨むことができます。
医療者や専門家を頼ってください。
主治医はもちろん、通院治療室のがん専門看護師さんや薬剤師さんは、治療のプロであり、一番身近な相談相手です。副作用の対処法や薬の疑問など、ささいなことでも相談してみてください。また、病院のがん相談支援センターなども、気持ちを聞いてもらうだけで心が軽くなる場所です。
同じ経験をした人の話を聞いてみてください。
私は治療中、同じ病気を経験した方が発信しているYouTubeをよく見ていました。一度だけオフ会にも参加しました。参加者の一人の方が、ステージ4でもとても明るく前向きに話す方の姿に、大きな勇気をもらいました。患者会やSNSなど、自分に合った形で、少しだけ外とつながってみるのもいいかもしれません。