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「頼ることは恥ずかしいことじゃない」21年間の乳がん体験が教えてくれたこと

[公開日] 2025.10.06[最終更新日] 2025.12.24

写真はイメージです。(AIによる生成)
プロフィール お名前:加藤美津子さん(本名) 年代:60代 性別:女性 家族構成:夫、娘夫婦、孫の五人暮らし 仕事:ピアサポーター(ボランティア)、 診断時はフルタイムの契約社員 がんの種類:乳がん 診断時ステージ:ステージ2A 居住地:愛知県 診断年:2004年
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。 2004年の夏、当時40代でスポーツメーカーの契約社員として働いていた加藤美津子さんはステージ2Aの乳がんと診断されました。手術と抗がん剤治療を受けた後も、局所再発、反対側の乳房での新たな原発がんが見つかり、20年以上治療を続けています。その道のりは、日本の乳がんの薬物療法の進化を実感するものだったといいます。治療と向き合いながら仕事を続け、自ら患者会を立ち上げるなど、熱心に活動されてきた加藤さんに、これまでの体験をお話しいただきました。

甥との出来事が知らせてくれた、胸の異変

私が最初に胸の異変に気づいたのは、今から21年前、2004年の夏のことでした。きっかけは、甥に胸を蹴飛ばされたことでした。しばらく痛みが引かないので、いつもより丁寧に胸を触ってみると、しこりのようなものがあることに気がつきました。 祖母も乳がんを経験していたので、もしかしたら、という思いはありました。若い頃に甲状腺の病気でお世話になっていた総合病院の先生に定期的に診てもらっていたので、その診察のついでに相談してみると、「すぐに専門の科へ行きなさい」と言われました。 幸運なことに、その日は乳腺の専門医がいる日でした。その先生が「今日のうちに全部検査しましょう」と言ってくださり、夜7時ごろまでかかりましたが、1日で必要な検査を終えることができました。マンモグラフィー検査や超音波検査、そして組織検査もその日のうちに行いました。

「ごめん、残念だけど乳がんだった」

検査結果は2週間後に出るとのことでしたが、予定より早く、土曜日の朝に病院から電話がありました。出かける準備をしていた私に、先生は「もし予定がキャンセルできるなら、すぐに来てほしい」とおっしゃいました。その電話を受けた瞬間、「ああ、ダメだったんだな」と覚悟を決めました。 急いで病院へ向かい、一人で診察室に入ると、先生は私の方を振り向き、「ごめん、残念だけど乳がんだった」とストレートに告げられました。その場には、私の甲状腺の病気の主治医だった先生や検査技師の方も同席しており、3人の先生が並んでいるのを見て、これは大変なことなのだと実感しました。 告知の後、今後の治療方針についての詳しい説明がありました。たまたま夏休みで家にいた大学生の娘が、一緒に話を聞いてくれることになりました。

手術、そして過酷だった抗がん剤治療

手術後の病理検査の結果、私の乳がんはステージ2Aだとわかりました。当時は今のように、がんの性質を細かく分類する「サブタイプ」という考え方はまだ一般的ではありませんでした。ただ、主治医からは「顔つきの悪いがんだ」と説明されました。 治療方針を決めるにあたり、手術は乳房温存か全摘出かという選択肢がありました。がんが乳頭の真下という微妙な場所にあったため、先生は手術の前日まで悩んでおられましたが、私は「賭けに出るつもりはない」と伝え、全摘出をお願いしました。 手術後、術後補助療法として抗がん剤治療が始まりました。FEC療法という方法で、8クールの治療を受けました。今でこそ吐き気止めの薬がたくさんありますが、当時はまだ良いものがなく、副作用はかなりつらいものでした。抗がん剤を投与してから1週間ほどは、激しい下痢と嘔吐で、ほとんどトイレと友達のような生活でした。その様子を見ていた高校生の息子と大学生の娘は、「お母さんは、がんで死ぬのではなく、抗がん剤で死んでしまうのではないか」と、本気で心配していたようです。

薬物療法の進化とともに歩んだ、私の乳がん治療の歴史

初発の乳がんに対する抗がん剤治療が全て終わったのは、2004年の12月でした。しかし、ほっとしたのも束の間、それからわずか数か月後には、手術した側の胸壁に局所再発が見つかりました。リンパ節郭清もしていたのですが、取り残しがあったのかもしれません。そこから再び抗がん剤治療が始まりました。さらにその半年後、また同じような場所に2度目の局所再発を経験しました。 そして、初発から3年が経った頃、今度は反対側の乳房に全く別の新しいがんが見つかり、こちらも全摘出手術を受けました。幸いだったのは、この頃には医療が進歩し、がんの性質を詳しく調べられるようになっていたことです。新しく見つかったがんは「HER2陽性」というタイプで、「分子標的薬のハーセプチンという薬が効くだろう」と、先生から説明がありました。 標準的な抗がん剤治療を終えた後、ちょうど「ハーセプチンを1年間投与するのが有効」というデータが出たばかりのタイミングで、私もその治療を受けることができました。その後、残念ながら遠隔転移が見つかりましたが、さらに新しい薬も登場し、現在は「パージェタ」という薬を併用した治療を続けています。 振り返れば、私の20年以上にわたる治療の歴史は、乳がんの薬物療法が進歩してきた歴史そのものだと感じます。「あの時、今のような薬があれば…」と思うこともありますが、過ぎたことを考えても仕方ありません。新しい治療法が次々と開発され、今の患者さんたちがより良い治療を受けられるようになったことを、素直に喜びたいと思っています。

「私はがんで死んでしまうことにされる」と感じて、カミングアウトを決意

最初の診断を受けた時、私はスポーツ用品を扱う会社で契約社員として働いていました。手術と抗がん剤治療のため、しばらく休職することになりましたが、直属の上司と同僚には病名を正直に伝えました。会社の部長からは「会社としては君が戻ってくるのを待っているから、とにかくゆっくり治してきなさい」と温かい言葉をかけていただきました。 最初は、ごく一部の人にしか病気のことを話していませんでした。しかし、入院中に病院の売店で、偶然別の部署の同僚と会ってしまったのです。パジャマ姿の私を見て驚く彼女に、その場では言葉を濁しました。 この出来事がきっかけで、隠し続けるのは難しいと感じ始めました。退院後、特に仲の良かった同僚3人がお見舞いに来てくれた時、「実は乳がんだったんだ」と打ち明けました。すると、そのうちの一人が泣き出してしまい、「死んじゃうの?」と言ったのです。 その時、私は「このまま黙っていると、周りの人たちの中では私は死んでしまうことになる」と直感しました。そこで、上司にお願いして、「加藤は乳がんで手術をしましたが、元気に戻ってきますので、心配しないでください」と、会社全体に伝えてもらうことにしました。 カミングアウトしたことで、職場での環境は大きく変わりました。復帰すると、みんなが「何を手伝えばいい?」と聞いてくれ、「ごめん、重い物は持てないんだ」と伝えると、「いいよ、座ってて!」と自然にサポートしてくれました。病気であることを伝えることには、もちろんデメリットもあるかもしれません。しかし、私にとっては、正直に話すことで周りの理解と協力を得られ、精神的にも肉体的にもずっと楽になりました。

社会とのつながりを求めて仕事を続ける

しかし、その職場は重い荷物を運ぶことが多く、主治医から「体に負担がかかるから、仕事はやめた方がいい」と言われ、残念でしたが退職することにしました。 治療が始まってからも、私は家に閉じこもっていたくありませんでした。「社会とつながっていたい」「病気のことばかり考える時間を減らしたい」という思いが強くありました。幸い、声をかけてくれる方々に恵まれ、経理の仕事をしていた経験を生かして知人の会社を手伝ったり、体調の良い時に飲食店で働いたりと、治療をしながら仕事を続けることができました。外に出て働くことは、私にとって最高の気分転換であり、治療を続ける上での大きな支えになっていたと思います。

ピアサポートという新しい役割

治療に関する情報は、主に主治医から得ていました。また、国立がん研究センターのがん情報サービスのウェブサイトも参考にしました。患者会にも参加してみましたが、もっと身近で、気兼ねなく愚痴や悩みを話し合える場所が欲しいと感じていました。 その思いを病院で話したところ、「そんなに言うなら、自分でやってみたら?」と背中を押され、その病院で院内患者会を立ち上げることになりました。立ち上げから18年、今も活動は続いています。年に1度は、医師の講演会や体験談、協賛メーカーの展示などを盛り込んだイベントも開催しています。 現在は、愛知県にあるNPO法人にも所属し、ピアサポーターとして活動しています。全国のがん患者さんやご家族から、電話やオンラインで相談を受けることもあります。一歩踏み出して誰かに相談することの大切さを、日々実感しています。20年以上にわたる自分自身の経験が、今、同じようにがんと向き合っている誰かの役に立てているのなら、これほどうれしいことはありません。

これからがんと向き合う方へのメッセージ

がんと診断されると、「なぜ自分が」と孤独を感じてしまうことがあるかもしれません。そんな方に、伝えたいことがあります。 一人で抱え込まないでください。 周りには、あなたを支えたいと思っている家族や友人がいます。そして、同じがんを経験した仲間がいます。つらい気持ちも、時間の経過とともに少しずつ和らいでいくことがあります。そして、どんな時も笑顔を忘れないでいることが、前に進む力になるはずです。 周りに迷惑をかけることを恐れないでください。 人は誰でも、お互いに迷惑をかけながら生きています。がんになったからといって、特別なことではありません。「頼る」ことは、恥ずかしいことではないのです。困った時は「助けて」と言っていいのです。 一歩踏み出す勇気を持ってください。 今は話すのがつらくても、いつか「誰かに話してみようかな」と思えるタイミングが必ず来ます。その時が来たら、迷わずに一歩を踏み出してみてください。がん相談支援センターや患者会など、あなたの話を聞いてくれる場所はたくさんあります。
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