写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:CTさん(ニックネーム)
年代:60代
性別:女性
家族構成:夫と娘の三人暮らし(長女は独立)
仕事:会社員(コールセンター)からNPO職員などを経て、
現在はがん教育やがん防災の啓発活動中
がんの種類:乳がん
診断時ステージ:ステージ3
居住地:東京都
診断年:2008年
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
次女(当時小学2年生)の言葉がきっかけで、再度受けたマンモグラフィ検査で乳がんが発見されたCTさん。診断時の衝撃から始まり、子どもとの向き合い方、治療中の困難、そして現在のがん教育活動まで、約17年にわたるがん体験についてお話していただきました。
クリスマスイブの告知、頭が真っ白になったあの日
42歳の時に受けた区のがん検診では、問題ありませんでしたが、翌年の検査では精密検査が必要と言われました。がんの疑いがあるなら専門の病院がいいだろうと、以前叔母が入院していたがん専門病院へ向かいました。
実はその10年ほど前、職場の検診で子宮頸がんの要精密検査となり、10年間検査を続けて「卒業」した経験がありました。だから今回も「きっと大丈夫」と、どこかでたかをくくっていたのです。最初の検査では良性の「線維腺腫」と診断され、安心しきっていました。
しかし翌年、当時まだ小学2年生だった次女が「ママ、ここになんかあるよ」と私の胸のしこりを指さしました。きっと線維腺腫が目立つようになっただけだろうと思いつつ、娘を安心させるためにも、仕事が休みになったタイミングで再び同じがん専門病院を受診しました。
2008年12月24日、クリスマスイブ。医師から告げられたのは「浸潤性乳管がん」という診断でした。ステージは3。その瞬間、頭の中が真っ白になり、ショックで何を話したのか、どうやって家に帰ったのか、記憶が全くありません。ただ帰宅後、テーブルの上におかれた診断時に受けた内容のメモを見て、「ああ、これは現実なんだ」と思いました。
最初に頭に浮かんだのは「死」でした。そして不思議なことに「子どもたちじゃなくて、私で良かった」という気持ちも湧き上がりました。20代の頃に母を心臓の病で突然亡くし、死に目に会えなかった後悔がありました。母は数時間で逝ってしまったけれど、がんならもう少し時間があるかもしれない。そんなことをぼんやりと考えていましたが、悲しいとか、恐ろしいといった感情は、まだ実感として湧いてきませんでした。
本当の意味で自分ががんだと理解したのは、がん専門病院の医師から紹介された総合病院を受診した時です。がん専門病院では、手術を待っている患者さんが100人くらいいて、すぐには治療できないということでした。乳がんの治療ができる病院の候補をいくつか教えてもらい、その中で一番早く治療が受けられるのが、その総合病院でした。受診から手術まで年末年始を挟んでいたので、どう過ごせばいいのかを看護師さんに尋ねると、「乳がんの方は、他の人と一緒に入浴するのをためらわれ、温泉などの施設に行けなくなるので、今のうちに行っておくのがおすすめですよ」と言われました。その「行けなくなる」という一言で、現実が一気に押し寄せ、涙が止まらなくなりました。
家族への報告と、すれ違いの始まり
がんだとわかってすぐ、夫と2人の娘たちに伝えました。夫には乳がんに関する本を買って渡したのですが、彼はそれを読んでくれることはありませんでした。病気と向き合うことへの温度差が、この時からすでに生じていたのかもしれません。これが、後に私が経験する「二次災害」の始まりでした。
娘たちに伝えることには迷いもありましたが、母の死を本人も知らずに看取ることもできなかった後悔を子どもたちにはさせたくなくて話すことに決めました。一人ひとりとしっかり向き合いたくて、長女と次女、それぞれ1対1で話をしました。
上の子は「パパもきっと協力してくれると思うから、家族みんなで一緒に頑張ろう」と言いました。下の子はまだ小さく「がん」が何かわからなかったようです。ただ、二人に対して一番伝えなければならなかったのは、「あなたたちのせいじゃないし、誰のせいでもないし、ママのせいでもない」ということでしたが、当時の私はこのことを知らなかったのです。この一言がなかったことが、後々子どもたちを深く苦しめることになります。
私の治療は、まず手術でがんを取り除き、その後、放射線治療、分子標的薬、ホルモン療法と続く、いわゆる「フルコース」でした。特に抗がん剤治療は過酷で、副作用などで治療が順調に進まないこともありました。髪の毛は全て抜け落ちましたが、下の子は学校で「ママは抗がん剤で頭がツルツルなんだよ」と話してしまい、それが元で親子共々大変な思いをしたこともありました。
病気そのものよりつらかった「二次災害」
私が経験した苦しみの中で、治療の副作用と同じくらい、あるいはそれ以上につらかったのが、がんになったことで生じる治療以外の問題、特に家族や周囲との人間関係の困難でした。こうしたことを娘が、「がんの二次災害」と名付けました。
我が家の場合、一番大きかったのは、夫が私の病気を受け入れられなかったことでした。子どもたちは、私ががんになったのは「自分たちが悪い子だからだ」と思っていました。また、自分がしっかりしなきゃいけないと思うのに、頑張れない自分に苦しんでいました。私はもちろん、子どもたちも自責の念に囚われていたのです。
「ママ笑って」-子どもたちの存在がくれた光
治療がつらい時、私にとって唯一の支えとなってくれたのが娘たちの存在でした。ただ子どもたちのことを思うだけで、不思議と力が湧いてきました。
ある日、3人で抱き合って泣いていた時、娘が私に言ったのです。「ママ、笑って」と。その一言で、はっとしました。一番つらいのは、がんになった私ではなく、それを見ている子どもたちなのだと。私ががんになり不甲斐ない母だと謝ると、娘が「その逆のことを言って」と言ったのです。
その日から、私は変わりました。
ネガティブなことを言ってしまったら、打ち消すように反対のことを言い直す「ネガティブ禁止令」を子どもたちと三人で実行したり、子どもたちに「ごめんね」と謝るのではなく、感謝の言葉を伝えるようにしました。そうしたことを繰り返すうちに、次第に前向きになっていきました。
私ががんになった当初は、子どもたちも学校に行けなくなったり、心身が乱れたりしました。たまたま、子どもたちが学校に行けた日に、「私ががんになる前は学校に行くのは当たり前だったのに」と、いつも通りの日常がどれほど大切かを実感しました。子どもたちは、何か特別なことをしてくれたわけではありません。ただ、いつも通りに学校に行き、友達と遊び、笑っていてくれる。その「日常」が、何よりの薬でした。
周囲の方々には、過剰に心配されたり、同情されたりするよりも、がんになる前と変わらずに接してもらえたら、どんなにありがたかったかと思います。でも、子どもたちは、どんな態度でも、会えなくても、連絡すら取れなくても存在そのものが、私にとって最大の心の支えでした。
やがて、あれほど心配した子どもたちは、それぞれが違うルートをたどりながらも、たくましく成長し、自分の人生をしっかりと歩み始めました。その姿を見た時、心の底から「生きてて良かった」と思いました。
私の経験を、誰かの力に
あれから16年、私は今、元気に過ごしています。現在は、自身の経験を少しでも社会に役立てたいという思いから、がん教育の授業や、がんになっても安心して暮らせる社会を目指す「がんと働く応援団」の活動、そして防災訓練のようにがんに罹患する前から備えておくことが大切ではないかという発想からまとめた「防がんMAP」の普及などに取り組んでいます。
かつての私のように、「二次災害」に苦しみ、「申し訳ない」「恥ずかしい」という気持ちから誰にも相談できず、一人で抱え込んでいる人が、今もたくさんいるはずです。私の体験をお話しすることが、そうした方々にとって、ほんの少しでも前に進むきっかけになればと願っています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
私の体験から、今まさにがんと向き合っている方々にお伝えしたいことがあります。
「申し訳ない」「恥ずかしい」と思わないでください。
家族との問題や経済的な困難など、治療以外の問題に直面した時、「うちだけがおかしいのでは」と自分を責めてしまうかもしれません。でも、それは決して特別なことではありません。多くの患者さんとその家族が、同じような「二次災害」を経験しています。
一人にならないで。必ず助けはあります。
つらい時、苦しい時、どうか一人で抱え込まないでください。主治医や看護師、がん相談支援センター、患者会やピアサポーターなど、話を聞いてくれる場所は必ずあります。
相談先は一つではない。諦めないでください。
相談した相手と合わなかったり、かえって傷ついたりすることもあるかもしれません。でも、そこで諦めないでください。相談員とも相性があります。あなたに合う人は必ず見つかります。一つがダメでも、隣の市の支援センターへ行ってみる、違う患者会をのぞいてみるなど、一歩踏み出せば世界は広がります。ブログやSNSには、どうしても治療がうまくいかなかった方の悲しい体験談が目立ちがちです。ネット上の情報が全てではない、ということを心に留めておいてください。
あなたの中には、力が眠っています。
がんになると、自信を失い、立ち上がれないと思うかもしれません。でも、あなたの中には、あなた自身が思っている以上の力が絶対にあります。その力で「しぶとく」なってください。しぶとくなることは、あなた自身を、そしてあなたの未来を支える一番の味方になるはずです。