写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:杉谷茂治さん(本名)
年代:70代
性別:男性
家族構成:妻と二人暮らし
仕事:定年退職後、シニアの大学でボランティア
がんの種類:中咽頭がん
診断時ステージ:ステージ4a
居住地:大阪府
診断年:2022年
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
69歳の時、人間ドックをきっかけに中咽頭がんステージ4aと診断された杉谷茂治さん。告知の不安を乗り越え、12時間に及ぶ大手術、そして「話す」「食べる」という当たり前の日常を取り戻すためのリハビリに取り組みました。新型コロナウイルスが流行する中でがんと向き合い、乗り越えてきた体験をお話ししていただきました。
人間ドックでの異常発見が、がん発覚のきっかけに
定年退職後は、シニアを対象とした認定NPO法人のカレッジでボランティア活動をしながら、妻と穏やかな日々を送っていました。体に特に不調を感じることもなく、健康にはそれなりに自信がありました。そんな日常が大きく変わるきっかけとなったのは、2021年11月に受けた人間ドックでした。動脈硬化の検査として受けた頸動脈エコー検査で異常が見つかったのです。
検査の結果、「右頸部リンパ節腫大」という所見がありました。特に自覚症状もなかったため、最初はそれほど深刻には考えていませんでした。しかし、念のため12月に人間ドックを受けた病院で精密検査を受けることにしました。そこでもリンパ節が腫れている原因がわからず、年が明けた2022年1月、リンパ節生検でも原因が特定できず、医師が内視鏡で喉の奥を確認したところ、がんが見つかり、検査のために入院することになりました。
突然のがん告知。初めて聞いた「中咽頭がん」という病名
検査入院中、組織を採取して行う病理検査の結果、告げられた病名は「中咽頭がんステージ4a」でした。
医師からの説明を聞きながら、ショックはありましたが意外に冷静だったことを覚えています。胃がんや肺がんなど多くの人が耳にするがんのことは、ある程度知っていましたが、中咽頭がんのことは全く知りませんでした。すぐに中咽頭がんの5年生存率などいろんな知識をがんに関する情報サイトで調べたり、病院のがん相談支援センターにも足を運んだりしました。情報が多ければ多いほど、かえって不安が募ることもありましたが、とにかく自分の置かれた状況を正確に理解したいという思いでした。
どうしようもない不安から、がん封じで著名な神社でご祈祷を受け、万が一の事態に備えて身辺整理も始めました。パソコンに保存していた数々のパスワードを整理し、これまで書きためていた日記も整理しました。あれほど好きだったお酒も、不思議と全く飲む気が起こらず、自然と断酒することになりました。
「話す」「食べる」機能を失うリスクと手術への決意
治療方針を決めるにあたり、妻にも同席してもらい、医師から詳しい説明を受けました。提示された選択肢は、大きく分けて手術か、放射線治療でした。それぞれの治療法のメリット・デメリットを丁寧に説明してもらいましたが、私の心に重くのしかかったのは、手術に伴う機能障害のリスクでした。
がんができた場所が喉だったため、原発巣を切除する際に、発声に関わる声帯や、食べ物の飲み込み(嚥下)にかかわる喉頭蓋に影響が及ぶ可能性があるというのです。「手術後、うまく話せなくなるかもしれない」「自分の口から食べることができなくなるかもしれない」、その可能性は大きなリスクと感じました。一方で、放射線治療は、味覚障害や唾液の分泌障害などの副作用の可能性があるということでした。
どちらの治療法を選ぶべきか、非常に悩みました。最終的に私の背中を押してくれたのは、看護師さんたちの意見や、自分で集めたがん関連の情報でした。根治を目指すためには、手術が最善の選択肢だと考えました。喉の機能がどこまで戻るかわからないという不安はありましたが、術後のリハビリに全てを賭けようと、手術を受けることを決意しました。
12時間の大手術と術後の過酷な日々
2022年2月末、手術のために再び入院しました。手術前夜は緊張でなかなか寝つけず、睡眠導入剤の力を借りました。耳鼻咽喉科の病棟だったため、大部屋では他の方のいびきがとても気になり、術後は個室に移らせてもらうことにしました。
手術は、がんの原発巣切除と右頸部郭清術(首のリンパ節を取り除く手術)を同時に行うもので、12時間にも及びました。麻酔から覚めた時、下顎の感覚が全くないことに気づきました。てっきり下顎は切開しなかったのだと思っていましたが、後になって、手術のために一度下顎の骨を切断し、チタンプレートで固定したのだとわかりました。
術後の日々は、想像以上に過酷なものでした。しばらく声は出せず筆談でした。喉には気管カニューレが挿入され、自力で痰を出すことができません。そのため、看護師さんにチューブで痰を吸引してもらうのですが、これが本当につらかったです。
また、血液検査でナトリウム不足が判明し、それを補うために毎日食塩を摂らなければならなかったのはなかなかつらいことでした。さらに、治療の過程で誤嚥性肺炎や口腔カンジダ症といった、思わぬ病気も発症してしまいました。
当時は新型コロナウイルスが猛威を振るっていた時期で、ICUは常に満床状態。感染対策のため、家族との面会も遠く離れて短時間だけ、病棟からの外出は一切禁止され、孤独な闘病生活を強いられました。
毎日のリハビリが心の支えになった
つらいことばかりの入院生活でしたが、希望となったのがリハビリでした。とろみのついた水を飲む練習から始まりました。嚥下、発声、歩行訓練など、毎日がリハビリの連続でした。
最初はうまく動かなかった舌や喉が、練習を重ねるうちに少しずつ機能を取り戻していくのがわかりました。その小さな進歩が、何よりの励みになりました。鼻から胃に栄養を送るために通していたチューブが抜かれたときは回復を実感でき、本当にうれしかったのを覚えています。流動食から始まり、ペースト状の食事、そして少しずつ固形物が食べられるようになった時の喜びは、今でも忘れられません。
入院中、少しでも前向きな気持ちを保つために、退院したらやりたいことをリストアップした「やりたいことリスト」を作成したり、日々の出来事や気持ちをメモとして日記につけたりしました。これが、先の見えない治療生活を送る上での大きな心の支えとなりました。
退院後の生活と妻の支え
36日間の入院生活を終えて自宅に戻ってからも、私の闘いは続きました。嚥下機能のリハビリの一環として毎日お経を読んだり、意識的にたくさん会話をしたりして、喉を使うことを心がけました。首のリンパ節を切除したことによる後遺症へのリハビリも、自宅で継続しました。
退院してすぐの頃は、舌の動きが悪く、呂律がうまく回りませんでした。食事中によく舌や唇を噛んでしまい、食事を中断することもしばしばでした。そんな私を、一番近くで支えてくれたのが妻です。妻は、料理本などを参考に、私が食べやすいようにとろみ食からソフト食、そして軟菜食と、回復状況に合わせて毎日食事に工夫を凝らしてくれました。そのおかげで、私は少しずつ食べる自信を取り戻すことができました。ただ当時は外出する際は、食べ物を細かく切るための携帯用の食事ばさみが手放せませんでした。
こうした地道な努力のかいあって、その年の11月ごろには、徐々に普通の食事が食べられるようになり、あれほど飲む気のしなかったお酒も、少しずつ楽しめるまでに回復しました。
がんを経験したことで、私の人生観は大きく変わりました。「後悔しないように生きよう」と、何事に対しても以前より積極的になったと思います。退院後は「口腔・咽頭がん患者会」に入会し、同じがんを経験した仲間たちと情報交換をしたり、がんに関するセミナーに積極的に参加したりしています。がんは私から多くのものを奪いましたが、同時に多くの学びと気づきを与えてくれました。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
私の経験が、今がんと闘っている方や、そのご家族の何かの参考になれば幸いです。
何でも質問してください。
がん治療は初めて経験することばかりなので不安な気持ちはよくわかります。まずは信頼できる医師や看護師、薬剤師の方々に、わからないこと、不安なことを遠慮なく質問することが大切です。それが、納得した治療を受けることにつながります。私は疑問点をメモに書き出して、診察のたびに一つひとつ確認していました。
自分なりの目標や楽しみを見つけてください。
治療中は心身ともにつらく、先が見えなくなりがちです。そんな時こそ、小さな目標や楽しみを見つけることが心の支えになります。私の場合は「やりたいことリスト」の作成や日記が、前向きな気持ちを保つ上で大きな助けとなりました。
一人で抱え込まないでください。
がんは孤独な闘いになりがちです。家族や友人はもちろんですが、患者会などに参加して、同じ経験を持つ仲間と話すことで、気持ちが楽になったり、治療に関する有益な情報を得られたりすることがあります。
自分の力を信じてください。
リハビリは時に地味で、成果がすぐには見えないかもしれません。しかし、諦めずに続けることで、回復の可能性が高まります。ご自身の体の力を信じて、焦らず、一歩一歩着実に進んでいってください。