写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:すずらんさん(ニックネーム)
年代:50代
性別:女性
家族構成:夫と二人暮らし(子ども二人は独立)
仕事:会社員(罹患を機に退職)
がんの種類:卵管がん
診断時ステージ:ステージ4A
居住地:広島県
診断年:2024年
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2024年の元旦、すずらんさんを襲った止まらない咳と息苦しさ。それは、卵管がんステージ4Aという厳しい現実の始まりでした。医師のため息と共に告げられた「悪性の可能性」、そして5年生存率の数字にとらわれ、「どう死ぬか」ばかりを考えていた日々。しかし、さまざまな情報や人との出会いをきっかけに、すずらんさんの心は「どう生きるか」へと大きく変化します。どのようにして希望を見出し、自分らしい日々を取り戻していったのか、詳しくお話を伺いました。
始まりは止まらない咳、そして医師のため息
2024年の元旦から、数日間続く咳と息苦しさに悩まされていました。連休明けまで我慢できず、当番医を受診したところ、レントゲンで胸に水が溜まっていることがわかりました。そこまで大変な病気だとは思っていなかったため、紹介状を書いてもらい、近所にある中規模の総合病院へ向かいました。
そこで待っていたのは、私の人生で最もショックな出来事でした。診察した医師は私のCT画像を見るなり深いため息をつき、「胸水だけでなく腹水もある。悪性の可能性が高い。うちでは診られないので、街の中心部にあるがん拠点病院に紹介状を書きます」と告げたのです。突然の告知と、希望がないと言わんばかりの医師の態度に、付き添ってくれた夫と二人、失意のどん底に突き落とされました。
段階的な告知と、定まっていく覚悟
紹介されたがん拠点病院では、呼吸器科、腫瘍内科、そして婦人科と、次々に検査が進みました。胸水からは悪性細胞が見つかり、婦人科系の腫瘍マーカーは正常値の上限35に対し、604という異常な数値を示していました。子宮の検査でもがん細胞が見つかりましたが、それは子宮自体ではなく、おそらく卵巣あたりからこぼれ出たものだろうとの説明でした。
PET検査とMRI検査を経て、原発巣は婦人科系で確定。入院し、診断を確定させるための腹腔鏡手術を受けました。結果は「左卵管原発の卵管がん、ステージ4A」。腹膜播種(ふくまくはしゅ)もあり、この時点での根治手術は不可能という診断でした。
最初の告知があまりに衝撃的だったからか、段階的に事実が明らかになっていく過程で、不思議とショックは薄れていました。「受け入れるしかない」という気持ちと、これからどうなるのだろうという不安の中で、むしろ腹が据わっていくのを感じました。
「どうやって死ぬか」ばかり考えていた日々
治療方針は、まず抗がん剤(TC療法)でがんを小さくし、効果があれば手術、その後は再発を防ぐための維持療法(PARP阻害薬)を行うというものでした。当時の私は、2リットル近く溜まった胸水のせいで息苦しく、咳で夜も眠れない状態でした。家事もままならず、ただ横になっているだけでも苦しい。とにかくこの苦しさから解放されたい一心で、セカンドオピニオンを受ける体力的な余裕もなく、「先生にお任せします」と治療に同意しました。
しかし、治療が始まっても私の心は晴れませんでした。罹患してからずっと、がん情報サービスのホームページに書かれている「5年生存率」の数字が頭から離れなかったのです。ステージ4の厳しい数字を見て、「自分は5年も生きられないのだ」と確信し、絶望していました。
スマホを開けば、検索履歴から卵巣がんステージ4の闘病ブログや動画が次々とおすすめされ、さらに気持ちは落ち込みます。この「どうやって死んでいくのだろう」ということばかりを考える負のループは、5か月ほど続きました。
大きな転機となった、秋野暢子さんの言葉
そんな暗闇の中にいた私に、転機が訪れました。ある日、タレントの秋野暢子さんのブログが目に留まったのです。そこには「タンパク質摂取、運動をしっかり行い、再発に備える」という言葉がありました。その言葉に、私は目から鱗が落ちる思いでした。
「死」に向かっていた私の意識が、初めて「生」へと向いた瞬間でした。「自分はどうやって死んでいくのか」ではなく、「どうやって生きていくか」へ。私の心の中のスイッチが、カチリと音を立てて切り替わったのです。
そこからは、YouTubeでがん治療について積極的に発信されているがん専門医の先生方の動画を夢中で見ました。大事なことはメモを取り、自分にできそうなことから少しずつ実践していくと、不思議と気持ちが前向きになり、希望が湧いてきました。
生活の質の向上が、心と体を元気にする
気持ちの変化と共に、治療への向き合い方も変わりました。最初の抗がん剤治療では、さまざまな副作用に苦しめられました。しかし、どんな症状がいつ出るのかを詳細にメモし、婦人科外来の看護師さんに電話で相談して対処法を仰ぐことで、生活の質(QOL)の向上に努めました。
自分の体の変化を注意深く観察し、適切に対処することで、2回目の化学療法からは体が楽になっていくのを感じました。投与後の4日間ほどを除けば普通の生活が送れるようになり、罹患後2か月が過ぎた頃には、家事全般をこなし、自転車で買い物に行けるまでに回復していました。QOLが上がれば、気持ちも上がる。このことを身をもって実感しました。
再び前を向かせてくれた、相談支援センターの言葉
化学療法が3回終わった頃の検査で、抗がん剤が著しく効いていることがわかりました。画像上、目立ったがんは見えなくなり、予定通り手術ができることになったのです。
しかし、手術を目前にして、またしても5年生存率の壁が私の前に立ちはだかりました。「痛い思いをして手術をしても、どうせ長くは生きられないのではないか…」。再び絶望的な気持ちに陥った私は、病院内の相談支援センターに電話をしました。
私の話を聞いてくださった相談員の方は、静かにこう言いました。「手術をしてほしくても、してもらえない人もいるのですよ」。その言葉で、私ははっと我に返りました。自分がいかに恵まれているかに気づき、前向きな気持ちで手術に臨むことができました。手術は無事に終わり、執刀医から「お腹を開けてみたところ、目視ではがんは見られませんでした」と夫に伝えられたそうです。
私が「どう生きるか」のためにしていること
現在は、再発予防のための維持療法を続けています。体調が落ち着いてからは、「きょういく(今日行く所)」「きょうよう(今日する用)」を自分に課し、がんサロンやがんフォーラム、そして旅行にも積極的に出かけるようになりました。
また、SNSで同じ病気の方と交流したり、新聞に投稿したりして、社会との接点を持つことも大きな支えになっています。特に、偶然にも主治医が同じという方と出会えたことは、この上ない喜びでした。仲間がいると思うだけで、死への恐怖や孤独感が和らぎます。
振り返れば、闘病中は本当に多くの人や言葉に支えられました。泣いている私に「現代の医学をなめてもらっては困ります」と力強く励ましてくれた呼吸器科の先生。「大丈夫?」と一度も聞かず、いつも通りに接してくれた夫。そして、私のためにウィッグを選び、優しく接してくれたサロンの店員さん。その一つひとつが、私の「どう生きるか」を支える力になっています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
私の経験から、今がんと向き合っている方にお伝えしたいことがあります。
まず、ご自身のQOL(生活の質)を整えることを最優先してください。
治療による不快な症状を少しでも和らげることが、気持ちを前向きにする一番の近道です。自分の体に起きていることをよく観察し、医師や看護師、薬剤師など、ためらわずに専門家に相談してください。解決の糸口を見つける助けになるはずです。
情報を精査し、自分にできることから取り入れてみてください。
今はネットやSNSでさまざまな情報が手に入ります。しかし、他人の体験談はあくまで参考程度に。その中から、自分が「できそう」「続けられそう」と思えることだけを選んで実践することが、希望につながると思います。
落ち込む時間も必要です。
無理に元気を出そうとする必要はありません。私も5か月間、暗闇の中にいました。でも、とことん落ち込んだからこそ、今の元気な自分があるのだと思っています。自分の心に寄り添い、ありのままの感情を受け入れる時間も大切にしてください。