AYA世代とがん、第二弾は濱中まほさんにインタビューを行いました。第一弾はコチラ
AYA世代のサバイバーにインタビューを行い、感じた問題を話してもらう、AYATALK第二弾は濱中真帆(Maho)さんです。
Mahoさんは高校1年生の終わりに、未分化胚細胞腫のステージⅣに罹患しました。現在は、病院で働くソーシャルワーカー、「メディカルソーシャルワーカー(MSW)」を目指して専門学校で勉強をされています。

※本インタビューは同じくAYA世代でがんに罹患した鳥井大吾が行いました。体験談はコチラ

―では、簡単に自己紹介をお願いします。

Maho 16歳の高校1年生の終わりに、ステージⅣの未分化胚細胞腫を診断されました。手術と、BEP療法を4クール行いました。3ヶ月入院しました。高校1年生の3月~高校2年生の6月くらいまで入院をして、最終的には9月に復学をしました。

―はじめは、どんな症状がありましたか?

Maho マラソンの授業でいつも同じペースで走っていた友達に、ある時からついていけなくなりました。ただ調子が悪いのかなと思い放置をしていたら、今度はどんどん咳が出てくるようになりました。時期がちょうど3月で花粉症だと思い、軽い気持ちで病院に行ったのです。

―はじめは花粉症だと思われたのですね。

Maho しかし病院で診察を受けたら、その翌日に電話があり「いますぐ来て下さい」とのこと。急いで病院に行くと肺のレントゲン写真を見せられ、右側の2/3が真っ白でした。そして総合病院を紹介されました。どうやら肺に水が溜まっていたので、一旦はそれを抜いてもらいました。その後更に詳しい検査をしてみると卵巣が膨らんでいました。

―肺に水が溜まっていたから苦しかったのですね。その原因が卵巣にあったということですか?

Maho そうです。まれなケースらしいのですが、たまたま病院の先生が未分化胚細胞腫で肺に水が溜まった症例を見たことがあるらしく、実際に卵巣が原発巣でした。

―がんと知った時はどう思われましたか?

Maho 当時はそこまで知識もなく、また祖父母ががんに罹患していたので、病気の一つくらいのイメージしかありませんでした。一般的に思われるような、死ぬかも知れないといったことは思いませんでした。

―ではどの様な治療をするか説明はあったのですか。

Maho 説明はあったのですが、当時は高校生だったのでよくわかりませんでした。ただ、抗がん剤って何ですかと聞いた時に、「毒をもって毒を制す」という説明を受けました。また主治医から絶対治るからといわれ、それで安心したのを覚えています。

―入院することは周りには言ったのですか

Maho クラスの数人と部活の友達には入院することになってすぐには退院ができなさそう、くらいに簡単に伝えていました。

―ではがんであることは?

Maho 記憶が曖昧なのですが、直接言ったか、噂伝いかで、知っていたとは思います。

―半年くらい学校を休んでいて、復学してからはスムーズにクラスに溶け込むことは出来ましたか?

Maho 実は高校2年生に進学するときのクラス替えで、母が担任の先生に仲の良い友だちと同じクラスになれるように、とお願いをしてくれました。だから2学期から復学しても、そのままクラスに溶けこむことが出来ました。

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―復学してからは以前のペースで学校に通えていましたか?

Maho 授業は以前の様に授業を受けていました。しかしウィッグをしていたので、当時のプールに入ることがイヤでした。しかし、ウィッグだと知っていた担任の配慮のおかげで、レポートで単位をもらうことが出来ました。

―その他は何か困ったことはありましたか?

Maho 体育祭は見学していました。というのも、走ったり動いたりした時にウィッグだと周囲にばれてしまうのが嫌だったからです。

―特に思春期の女性でしたら髪は大切ですよね。学校生活ではウィッグで困らなかったのですか?

Maho たまたま通っていた高校が私服OKで、髪も染めて大丈夫でしたので、学校生活では困ることはありませんでした。

―ウィッグを着けている方ですと旅行に前向きになれないと聞いたことあるのですが、修学旅行は参加されましたか?

Maho 確かに修学旅行は行こうかどうか悩みました。友達の前でウィッグを外したくないので。最終的にはウィッグを外し、短い髪に無理やりエクステをして帽子を被ることにして、修学旅行に参加しました。ただ、私が困ったのは修学旅行のときではなく国語の授業でした。その国語科の20代くらいの若い先生は常に「人前では帽子を脱ぐのがマナー」だと言っていました。というのも、私服の高校で周りの生徒がオシャレで帽子を被っていたからです。そういった生徒たちに必ず授業になると取らせていました。そして私にもエクステの継ぎ目を隠すために被っていた、ニット帽を取るようにと言われました。

―ニット帽を取ることになったのですか?

Maho はい。ニット帽を外した、短い髪とエクステの継ぎ目が見えた状態でその授業を受けることになりました。席がクラスの真ん中だったこともあり、それがとても嫌で、正直自殺したくなるようなそんな気持ちでした。

―その先生は濱中さんの病気のことを知っていなかったのですか?

Maho いや、おそらく知っていたと思います。というのも、高校2年生の1学期をほぼ休んでいて、担任には病気のことも髪が抜けてしまってウィッグであることも説明していたので伝わっていたと思います。

―知っていても、杓子定規に帽子を脱がせたのですね。その他、学校の先生や友達との関わりで気になったことはありましたか?

Maho 当時ジャズの演奏をする部活でサックスを吹いていたのですが、他の部員から体力的に大変だろうからと、秋の文化祭での参加曲数を減らされてしまったことがありました。気遣ってくれることはありがたかったのですが、減らされてしまったことが悲しかったです。サックスを吹いていることが楽しく、もっといろいろな曲を吹きたいなと思っていたので。

―気遣ってくれる方向性が違っていたのですね。

Maho 気遣いの気持ちは嬉しかったのですが、そこじゃないのにと思いました。

―勉強の方はどうでしたか?

Maho やはり、追いつくのが大変でした。特に化学では、元素記号を覚えなくてはいけないことを知らず、その基礎がないまま2学期の授業を受けていたので、テストでは毎回赤点ぎりぎりでした。最終的には高校2年の評価が悪く進学の際の評定平均にも響き、指定校推薦で行きたい大学には進学できませんでした。

―学校では補講などのサポートはなかったのですか?

Maho 進級や卒業の面での単位のサポートはありましたが、その他はありませんでした。

―今ならこうしておけば良かったと思うことはありますか?

Maho やはり、国語の授業の際に帽子を取るようにと言われたことです。
今であれば自分できちんと説明しますし、そもそも事情があれば帽子を取る必要がないとわかるのですが、当時なにも言うことが出来ませんでした。
また母から、入院中に「私のせいでがんになってごめんね」と言われた時に、なにも言ってあげることが出来なかったことです。

―私も両親からそう言われたことがありました。辛いですよね。では最後に濱中さんが感じた、最後にAYA世代特有のがんの問題ってなんですか?

Maho 容姿のことですね。先ほど話しましたが、帽子を取るようにと言われたことです。学校の先生にもがんとはどういった病気、どんな副作用で悩んでいるかを知っていてほしいなと思います。また復学して、皆と同じ様に授業を受けられていればいいという問題でもなく、勉強の遅れやその後の進学についてもサポートが欲しかったです。

―ありがとうございました。

【インタビュアーコメント】
国語の授業での先生の行為は本当にひどい話です。私の大学でも帽子を脱ぐまで授業を始めない教授がいました。しかし事情があって帽子を被っている人もいます。こうなってしまう一つの要因は教育者側ががんについて知らないことだと思いました。がんがどの様な病気で、どの様な治療をして、副作用でどうなってしまうかを知っておいたら、決してオシャレだけで被っているわけではないと考えられるはずです。事情さえ知っていたら、一様に帽子を脱げとは言わないでしょうし。
また学業面においても、学校側は卒業させればいいわけではありません。卒業してからも生徒の人生はその後も続いていきます。その生徒の先のことを考えた上でのサポートが必要だと感じました。

AYA世代とは?

AYAとは、Adolescent and young Adult(アドレッセント アンド ヤング アダルト)の略であり、「思春期と若年成人」という意味です。AYA世代とは、一般的に15歳~29歳(欧米では39歳)を指します。AYA世代のがん患者は、治療中やその後の生活の中で、就学、就職、就労、恋愛、結婚、出産など人生のターニングポイントとなる様々な出来事と向き合う機会が想定され、大人・高齢のがん患者とは異なるAYA世代特有の問題があるとされています。

記事作成:鳥井 大吾

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