
オンコロLINEの友だちを対象に、がん患者さんやご家族の方などのご意見・お考えを共有したり、がんについて学べる1問クエスチョンのオンコロ・ワンクエスチョン! その結果と解説をがん情報サイト「オンコロ」にて公開しています!
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オンコロ・ワンクエスチョンの一覧
質問
「がん治療方針を決定するうえで、重視されたことを教えてください」
結果・解説

がんとの闘病は、身体的なご負担だけでなく、精神的にも大きな影響が及ぶものです。そのような時、周囲の方々からの温かい言葉や心遣いは、がん患者さんにとって何より大きな支えとなることがあります。
今回の「オンコロ・ワンクエスチョン」では、がん患者さん・ご家族の方からお寄せいただいた、「がん治療方針を決定する際の考えや、その時のエピソード」をご紹介します。多くの方々に治療方針を決定する際の思いやエピソードを詳細に綴ってくださいました。アンケートにご協力いただいた皆様、本当にありがとうございます。
この記事が、がん患者さんご本人、そしてご家族の方々が、がんの治療方針を決める際の一助となれば幸いです。
※本記事は患者さん・ご家族の回答を原文のまま掲載したものであり、個人の体験に基づく内容です。記事中の治療や薬剤、医療機関等を推奨・保証するものではありません。治療法の決定は、必ず主治医による医学的判断に基づき行ってください。
治療の効果
治癒、延命、標準治療、エビデンス、医師の推奨(効果への期待)など治療の効果に関するご回答をご紹介します。
・ステージが高いので、とにかく治る事を優先して考えた。
・とにかく治るのであれば、早く何でもしたいと思った。
・まず生き残ることを最優先。
・生きたい、それだけ。
・生きるための治療。
・治る可能性があるということで全力で取り組もうと思いました。
・治る事を信じて治療を受けた。
・標準治療であること。
・主治医の先生が勧める標準治療を受けました。エビデンスを示して説明してくださったので納得して治療を受けることができました。
・標準治療を信じる以外に術なし。
・リサーチしたあと、標準治療を選びました。
・治療効果は出るに越したことはありませんが、やってみないと分からないため、まずは標準治療を受けることが前提でした。
・エビデンスのある治療や、ガイドラインと添付の論文内容をもとに治療方針を検討した。
・PD-L1>50%と言われ、キートルーダが使えると知っただけで、希望が見えてきたような気がして1も2もなく飛び付いた。それ以外のことを考えて判断する余裕はなかった。
・エビデンスの他、SNS等での同病の方の治療法等を参考にし、治験・申請中を参考にした。
・ステージ4だったので もうこのままで抗がん剤はやらない と決めてましたが 子供に卒業まで生きていて欲しいと言われてた。
・なによりも治療効果があるものを重視しました。主治医からも治療効果が期待されるものでなおかつQOLが損なわれないものから先に提案していただき、薬剤耐性がついたら次のものをといった感じで治療をすすめてきています。
・まずは効果で次に副作用 髪が抜けたり浮腫で皮膚の痛み 体重増加 味覚障害は自分の中のことで我慢できるけど、見た目の変化は辛い。
・まずは病気を治したい、治療にかかわるお金のことを考えると仕事も続けなければならないので仕事は続けられるか、治療をしながら仕事ができるか心配だからか。
・維持療法のリムパーザ、セジューラどちらも効かず、で結局抗がん剤しか選べなかった。
・寛解する可能性が高い治療。
・私の場合、卵巣境界悪性腫瘍という診断で、手術前の段階で分かることから総合的に判断して、ステージ4であろうと言うことでした。卵巣の場合検体を事前に取れないので、手術中の緊急病理検査で、漿液性とわかりました。ステージ4の状態と確定したうえでの根治手術とCT+アバスチンの抗がん剤投与でした。最大限の治療効果を期待していました。
・治る事を最重視し、副作用のマネージも同時に考えて対応した。
・治療がほかになかったため。命を延ばしたい希望です。2回目でもう緩和に切り替わりましたが。後から思うと、副作用で辛さしかなかったです。
・主治医からは、年齢的に厳しい治療になるので、お勧めはしないという趣旨の話がありましたが、本人の、治療法があるなら、という希望を優先としました。
・主治医から効果の面からこれしか無いという感じで選択の余地はありませんでした。
・手術が一番効果的な治療方法と言われ、ほかの選択肢の提案はされなかった。
・初発で、かなり進行していると指摘を受けた為、まずは治療の効果重視以外は選べられなかった。
・少しくらい辛い治療でも、徹底的に癌を根絶してしまいたかったので、出来る治療は全て徹底的にやってもらいました。
・少しつらくても再発しないような治療をしてもらいたかったです。結果的に、ガイドラインに沿って、化学療法は必要ないと医師に説明を受け、自身でも納得して手術後は経過観察だけとしています。
・診断された時点でステージⅡ~Ⅲになっていた。まずは進行を止めるために治療効果を優先した。
・多数の親族が癌で亡くなっているので、とにかく効果や再発を抑制する治療を選択しました。自分は楽観的なので少々辛い治療でも耐えられると思っていましたが、想像以上に副作用が強くて、2つ目の抗がん剤は1クール目をやった後に結局中止になってしまいました。やはり医師やご家族と相談して治療方針を決めるのが良いのかな?と思います。
・直腸癌ステージ3bでしたが、根治を目指して抗がん剤治療がんばりました、が、再発、転移となり、緩和治療になりました。正直希望から絶望でした。でもこの頃やっと真摯に癌と向かい合う覚悟が出来つつあります。同じ思いをしている皆さん、がんばろうね。
・肺腺癌ステージ4の告知を受けて、治療法があるだけで迷わず化学療法を始めました。それから、11年9ヶ月ファーストラインで治療が変わっていません。今思うと、副作用の対処と容姿の変化がなかったことで、長期間治療を続けられていると思っています。
・方針も何も手術する事が生きていけること、手術も出来ないどうする事も出来ない場合もある、でも出来る事があるなら治療をするのみ、生きるか死ぬかが重要、その後人間らしく生きていけるか考えるようになるのでは。
・例えば抗がん剤を行うことで何パーセント程度再発リスクが下がる、といった数値等で示される治療の効果はとてもわかりやすく、治療の方針を決める手助けになりました。
・主治医のこれから転移するリスクの説明を聞いて、リスクは少なかったが、先生の徹底してがんを潰しておこうと言う熱意。
・陽子線と放射線の違いについて、副作用と治療効果について、納得がいくまで医師の説明を受けた。また、副作用のうち、回復するものと回復不能なものについても、回復までの期間、程度はしっかりと確認した。
治療の実施期間
早期開始、短期間での終了など治療期間に関するご回答をご紹介します。
・ステージⅣbの診断だったので治療の選択よりも早く治療を開始したかった。
・手術する前からある程度の治療方針を主治医から提案されていたので、家族でも話し合いそれが一番ベストだと理解した上で抗がん剤治療は、どの薬をどのくらいの期間をどのように投与となるのかなど、副作用も含めて予め調べたりしました。そして手術後の病理検査の結果を待って主治医と私、家族で話し合い一番軽い治療で行きましょうとなり、それなら早めに始めて年内に終わるということも私にとっては、大きな目標として決めました。
・早く手術できる病院を選びました。有名な病院はけっこう待たされると聞きましたので。
・効果があるとしても2年間服用する薬剤などは躊躇しました。
副作用の程度や内容
苦痛の回避、特定の副作用(脱毛など)の懸念など副作用に関するご回答をご紹介します。
・副作用の影響として、脱毛や倦怠感がどの程度なのか日常生活に支障があるのはできるかぎり避けたいと思い検討しました。実際やってみないとわからないですが。
・抗がん剤治療を始めるにあたり、新薬が認証されるのを待つか使えるものを使うか考えた時に、副作用の脱毛の有無を一番に考えました。
・副作用についても、人によって出方はバラバラのため、治療前に気にしすぎないようにしました。
・抗がん剤の副作用と奏功率
・ALK陽性肺腺癌で分子標的薬を選ぶ際、アレセンサかローブレナのどちらか選ぶ時、ドクターはより新しいローブレナを推しましたが、私は副作用の少ないアレセンサを選びました。
・患者本人が高齢なので副作用は気になりました。心臓に持病があったためカテーテル手術をしてから抗がん剤治療を開始しております。主治医も副作用が少ない薬剤を選んでくださいました。
・抗がん剤4クール目で、貧血で転んで手首を骨折。主治医に貧血がひどいから薬の量を加減してほしいとお願いしたのですが。
・抗がん剤の副作用で生活が辛くなるのではないかととても不安を感じたので、経験者の話を聞いて治療を納得して行えたのが良かった。
・抗がん剤治療で副作用が酷く辛い思いをしていたので、二次治療では副作用は対処できやすいものを選んでいた。(家族です)。
・自分の気持ちが常に病気と闘えるほど強くはないと思ったので具体的に治療期間や痛みなどはあるか事前に聞いて気持ちの準備をしたいと思いました。
・副作用の程度や内容を聞いてQOLの低下が懸念され、抗がん剤治療をどうするか悩んだ。主治医が抗がん剤の副作用の軽減の方法などを詳しく話してくれたことで抗がん剤治療をする決断ができた。
生活の質(QOL)の維持
自分らしい生活、苦痛のない生活、現状維持などに関するご回答をご紹介します。
・なるべく普通に暮らしたい。
・治療前の生活を少しでも同じように過ごしたいから。
・なるべく今の自分が維持出来ること、家族に迷惑を掛けない治療を望んでいます。
・「人生、而今(にこん)なり」命の時間は、いまこの時にしかなく、次の瞬間何が起こるかわからない。と言う意味ですが、だからこそ、死や薬剤の奏功を考える前に、いかに平常心を保ち、少しでも楽しく過ごすを考え、QOLを大事にしました。結果は、初回より半年後の再発の状態の今でも、至って元気です。
・完治がのぞめるなら、治療したいのですが、これからずっと共存していく事を想定しています。最初に先生が生活の質を落とす治療はしませんと言われました。その時は、理解できませんでしたが、5年間共存してきて、その事が大事だとわかったように思います。
・完治は望めないことから、治療の効果、副作用について、考えまして。辛いだけの日々を送るのは意味がないので。
・健常時と同等の生活ができる治療を望んだ、そのためにはある程度の経済的負担は受け入れるしかない。
・再発がわかり 抗がん剤治療を行う事になった時 生存期間は短くなっても 生活の質を落としたくない 最後まで自分らしく生きたいと話しました。
・再発を経験し完治はないと思っているのでなるべく元気で過ごせるように抗がん剤の量を調整したことがある。
・主治医に希望を伝え…しっかり相談する。辛い副作用ばかりで寝込むばかりでは何の為の人生…治療かが分からない。がんだけど…病人ではない。と思いたい。
・多発性骨髄腫で、治癒は難しく再発を繰り返すと言われて、それならば今まで通りの生活が続けられれば治療を頑張れると思った。
・長い治療をする上で不安だらけになりQOLを維持するのが辛かった。
・通院で抗がん剤治療ができたのは助かった。
仕事や社会的役割への影響
仕事の継続、復職、社会とのつながり、周囲との関わり方などに関するご回答をご紹介します。
・未婚の自分は経済面と精神面から仕事と治療を両立できることが重要でしたので、外来通院で抗がん剤や放射線治療ができることは非常に重要でした。
・会社を経営しているので、身体・トータル費用などが、知りたかったが、いざ始めてみると、人によってかなり違うということがわかった。私が「こんなのか」と思ったことでも、医師の経験値からかなり酷い、など。だから、やってみないとわからない。
・仕事が休めなかったことと子供の学校のことがあったため、学校が長期の休みに入る年末に治療期間をもってくるようにしました。
・自分のステージ状況、身体がどういう状態かを聞いて把握し、必要な治療を受けました。それには、期間・副作用を把握し早く仕事復帰出来るようによく聞いて乗り越えました。
・両親の介護を長く務めましたので、ただ息をするために生きるのでなく働いて社会とのつながりは動けるうちは持ちたいと望みました。
家族の意向や家族と過ごす時間
家族のために生きる、家族の希望、子供の存在などに関するご回答をご紹介します。
・家族がいると自分の事だけで済まされない。
・患者家族です。出来る治療が少なかったので、本人の「生きたい」という気持ちを優先し、効果がでる可能性があるものは受けるようにしました。
・子供がまだ小さかったので自宅の近くを選びました。
・自分と家族が納得して治療出来るように考えて選びました。
・とにかく、長く生きられることを重要視しました。子供が小さかったため。
・妊娠中の子宮頚がんだったので考える余裕はなかった。
・私個人は元々がんになったら治療しないで太く短くという寿命でいいと思っていた。それを家族にも宣言していた。65歳くらいで十分と。しかし、実際にがんになると考える間もなく治療に向かっていった。私がというより、医療のベルトコンベアに乗せられたような。家族はもっと一緒にいて欲しいと願ったし、完治の見込みがあるからベルトコンベアに乗せられているんだと、意識を変えた。
・罹患時に8歳の娘がいて、懸命に取り組む事の大切さを伝える最後の時間であると考え取り組んでいます。
経済的な負担
費用、家計への影響に関するご回答をご紹介します。
・癌患者ならお金のことが心配になると思います。
・治療費が家計を圧迫するので不安でした。
・効果が少なければ、高額な治療を受けずに過ごそうと思ってました。
・薬を変えての治療になった時に高価な薬だけど、体への負担も大・どちらかというと高価ではなくて体への負担は少ない、という薬の選択の時、体への負担も金額的な負担も大の方は選ばず、金額も体への負担も少ない方を選びました。短期間で必ず効くと言われたら高価な方を選んだかもしれませんが、効くだろうと言われ、期間が長期になるかもと思うと、治療費の負担や体への負担を考えると選べませんでした。
容姿や身体機能の変化
見た目の変化、身体機能の喪失(全摘、ストーマ等)を重視したご回答などをご紹介します。
・社会的な見た目と自分の体のアピアランスの変化を気にした。
・20代前から陥没乳頭があり炎症を何回も繰り返していた関係で根治術としての乳頭形成術を受けていました。乳頭形成術後も時間が経つと陥没が再発するために数回手術を繰り返しておりました。その後に乳がんに罹患したために、苦労して手に入れた乳頭を残したいと思い全摘ではなく部分切除を希望しました。幸いにがんの広がりは2cm未満であり場所的に温存術が可能でした。
・その治療を受ければ膀胱ストーマーを付けなければならない状況を避ける可能性が大きくなるか。
・最大の決め手ではなかったが,全摘か部分切除か決めてよいと言われた時,部分切除にすると実際どんな見た目になるのか、資料としての写真がないかきいたがなかった。補正,再建などの方も含めて医師以外のフォローがあっても良いと思ったのを覚えている。
・仕事の引き継ぎ等で忙しく、治療の効果については担当医から詳しく説明があったものの、術後の後遺症(直腸がんからの排便障害)について全く説明が無く、いざそうなってからかなり戸惑いがありました。
・人工肛門など容姿や趣味を諦めざるを得なくなる事を避けたかった。
・治療後の負担や傷が少ない方法を選びました。
・乳がんの手術で全摘か温存かで迷いましたが、ドクターの「現在では全摘でも温存でも治療結果に変わりはないです」という言葉で温存に決めました。温存の場合、術後の放射線治療は必須ですが、幸いにして、病院までバスで片道20分という近さで、かつ勤務先の通院への理解もあって毎日連続で全25日間通うことができました。ドクターはじめ、関わってくださった全スタッフが全員素晴らしく、病院選びの大切さも実感しました。
・膀胱がんは標準治療の選択肢が少なく、いきなり膀胱摘出を促されるので、精神的にきついです。
・緑内障で視野がだいぶ欠けています。見えなくなるのがとても怖いので、その点を主治医と相談しながら治療していきたいと思っています。
その他
これまでの項目に含まれないご回答や、複数の項目に該当するご回答をご紹介します。
・がんとわかった時は治す為ならどんな治療でもしようと思ったけれど、抗がん剤などの治療をしたら治療の効果が気になりました。その後 復職してからはQOLや身体機能、容姿が気になりました。その時その時で重要視することが変わっていきました。今は精神的安定を重要視しています。
・先生が1番オススメと言ってくれた組み合わせで進めました。
・方針を決める際の決め手は、医師との信頼関係、卵巣がんステージ3Cで、6クール、抗がん剤2種していました。副作用酷く抗がん剤をやめようと思いました。しかし、主治医に勧められて、腫瘍内科の別医師を紹介されきちんと説明を受け、一種のみ継続にいたりました。結果12年経ったいまも、別の原発のがん、乳がんにはみまわれましたが、元気に過ごしています。決めてというものも、医療者の説明の仕方、患者の理解に左右されます。
・たくさんの患者さんを診てこられてる主治医が、より自分の症状に合った治療を勧めてくれるので、そこを信じて決めた。
・自分が十分納得した上で治療に取り組めるよう、主治医とよく話し合って、その時点での疑問をできるだけ解決してから臨みました。
・主治医とメリット、デメリットを話し納得するまで話し合いをすること。
・exon20insの遺伝子変異の肺腺がんでしたので昨年の8月は治験(ジパレルチニブ)しかありませんでした。
・オプチーボ他による臨床実験の参加の可否について。
・それぞれの治療でのメリットデメリットをしっかり伝えてほしい。
・やらないともっと辛くなるから怖いしやりたくないけどやった。
・医師との意思疎通が難しく自分の病気を理解出来ないまま手術を受けました、術後のリスクを詳しく聞いてから手術を受けたかったと後悔しました。
・がんと診断された当時は治療方針など自分で検討する時間も知識もなくほぼ病院側(がん専門病院)の言われるままのような感じでした。診断後割とすぐに手術になり開腹したもののがんが拡がっていてその時は手術出来ませんでした。仕事もどれくらい休めばいいのか見通せず焦って辞めてしまいました。自分にがんになった時の対処方法の知識があり冷静だったら仕事を辞めずに済む治療方針を考える事が出来たのではと思います。
・希少がんだった為に選択できる程の治療が無く、手術ができることだけでもありがたかったのでただただ専門医が居ないかとか主治医の提案が正しいのか判らないまま過ごしてしまいました。
・嗅神経芽細胞腫(篩骨洞がん)です。病気の内容が分かってからセカンドオピニオンで重粒子線、陽子線、X線の治療内容を聞いた上で自らの意思で陽子線治療を選択しました。自分の身体の事なので示された治療の選択肢の中から自分で選択するようにしています。
・再発直後で、がん治療に関する十分な知識がない状態で、医師からの十分な説明がないまま、標準治療である分子選択的治療薬による治療が開始された。急いで治療について調べる中で、免疫療法等の標準外治療は実施しようか、資料の問い合わせを行った。最終的に標準治療を選択して良かったと思うが、当時は高額な免疫療法の実施を本当で検討しました。その過程は患者の配偶者として、とてもストレスだった。
・当時はとにかく混乱していた。
・乳癌部分切除後、ホルモン療法をやらない選択をした。
・標準治療をお断りしました。
最後に
2025年11月22日に実施されるオンコロ・ワンクエスチョンは、記念すべき100回目を迎えます。
これに際し、「がん患者さん・ご家族の方へ伝えたいメッセージ」をテーマに、皆さまからの声を募集いたします。
ぜひ友だち追加のうえ、ご参加いただけますと幸いです。
※2025年11月22日19時頃に、オンコロ・ワンクエスチョンをLINEにてご案内いたします。
ご案内
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