[公開日] 2018.04.05[最終更新日] 2018.04.05
コラム
オンコロの可知です。
神戸から東京に向かう新幹線にてこのメルマガを書いています。
3月25日に山下弘子さんが25歳という若さでお亡くなりになりました。
アフラックのCMや日本テレビ系列を中心としたドキュメンタリー番組で、彼女のことをご存知の方も多いかもしれません。
私が彼女と初めて会ったのは2016年9月16日です。
マギーズ東京の共同代表である鈴木美穂さんと一緒に面会に来た彼女は、
「私は標準治療がなくなってから臨床治験をはじめ様々な治療でいま生きていられる。
でも、その方法を多くの人は知らない。だから、もっと多くの人へ伝えたい」
と、明るく前向き、そして純粋な顔で話していました。
この一年間で劇的に治療選択肢が増えた肝細胞がん治療ですが、
彼女が肝細胞がんと診断されたのは6年も前の話です。
その間、2回の臨床試験(うち1回は治験)に参加されています。
そんな彼女は、何故か私のことを慕ってくれて、定期的に相談していました。
「どうやったらこういった情報が届くか」とか、
「エビデンスが蓄積されている自由診療の問題」とか、
「コンパショネート・ユース、患者申出療養制度や拡大治験をどうやったら受けられるか」とか。。。
彼女が免疫チェックポイント阻害薬複合療法に自由診療下でチャレンジするときに、書類の書き方の助言もしました。
(この治療は、当時、海外のP1試験結果にて忍容性と有効性の希望が見え始めたばかりでした。
のちに日本でもP1試験が開始することがわかっていましたが、時間的に待てませんでしたし、おそらく彼女は参加条件に合致していませんでした)
最後に会ったのは2017年8月27日。大阪梅田で彼女と彼女のご主人と食事をしました。
骨転移で歩行が厳しくなっていた彼女ですが、それでも弱さを見せません。会うたびに「前向きに生きていく」と話していました。
ただ、それでも、だんだんと連絡が少なくなり。彼女の様子はご主人のSNSで何となくわかりました。
そして、25日のあの知らせ。。。
彼女のお通夜は昨日、葬儀は本日本願寺神戸別院にて執り行われました。
本音では、今週末にどうしてもはずせない締め切りがあり、参列するか迷っていました。
ただ、26日22時頃に彼女のFacebookアカウントを借りて知人の方が投稿をしました。
要約すると、こんな感じです。
~抜粋~-略-
「香典とかは、わざわざ会いに来てくださる方の負担になっちゃうから要らない。親しかった人が会いに来てくれるだけで充分」
「でも、その代わりと言ってはなんだけど、自分と親しかった人にはこうしてもらえると嬉しいな」
「『この花が弘子にぴったりだな』『弘子にこの花を贈ってあげたいな』って、その人が私を想って選んでくれた花を1輪だけ持って会いに来てほしい」
「そしたら、私は『お~!この人は私をそういう感じで見てくれてたんや~』とか『そういうセレクトですか?意外なんですけどぉ~!?』ってニヤニヤするから」。
私は、速攻で「却下!」「めんどくせー女!」と言ったんですが
「いいじゃないですかぁ!私の最後のお願いなんですから。みんな、どんな花を1輪、選んでくれるんやろう~(わくわく)」
と、とっても楽しそうに、コロコロと笑っていたので、弘子ちゃんと親しかったお友だちの皆さま。
もし、よろしければ、そしてご負担でなければ、可憐でキュートで愛らしくて、誰からも愛された、
(私は弘子ちゃんにいつも『驚異の人たらし!』と呼んで笑っていました)
弘子ちゃんへのプレゼントとして、弘子ちゃんらしいお花を1輪だけ、ご無理のない範囲でお持ちいただけますようお願い申し上げます。
-略-
~~~~
抜粋していますが、これは救急搬送される前に行かれた京都旅行での葬儀についてのやり取りです。
「香典なんていらないから、多くの人に1輪の花を届けてほしい」という希望ですね。
これを見て、行かなかったら後悔するだろうなと、1輪の花を届けに行った訳です。
彼女は安らかに最期を迎えたとのことです。
「私が前向きに生きることが、同じ境遇の人の勇気になる」と、
スキューバや富士登山などにもチャレンジした彼女。
葬儀中、ずっと考えていました。
彼女のやりたかったことの一つ、「標準療法がなくなってからの希望という治療情報提供」について。。。
これは、エビデンスがないから治療法がないという中々難しい問題がありますが、
僕らのやれることはなるべくやっていかないといけないと思います。
長くなり、まとまらずにすみません。
この場をお借りして、取り留めなく書かせていただきました。
ここまで読んでいただき有難うございました。
可知 健太 オンコロブログ